野見宿禰神社 参拝
- 2023/01/02
- 04:16
野見宿禰は、播磨風土記によると2000年程前の怪力かつ頭脳明晰な人で、垂仁天皇のもとにいた怪力の当麻蹴速と相撲を取って勝利したことで垂仁天皇に仕える事となった。
野見宿禰は、その後皇族の葬儀で殉死者を一緒に葬る慣例をやめ、代わりに埴輪を入れる事にした人物と伝えられている(伝承)。

野見宿禰神社。

第44代横綱栃錦清隆直筆「力水」。

兵庫県たつの市の龍野神社。

播磨国風土記によれば、野見宿禰は大和から故郷の出雲へ帰る途中、日下部野(くさかべの)で病没した。
野見宿禰を悼み、出雲から多くの人が訪ねて野見宿禰の墓を建てるために人々が野を手送りで石を運んだという。
この光景が野に立つ人から「立つ野」「立野」「龍野」の地名になったとされている。

その隣のひっそりとした参道を登っていく。

野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)は、相撲の神様と呼ばれる野見宿禰を祀る神社。
東京都墨田区にも同名の神社があるようだ。

令和5年の大相撲初場所、再十両となる朝乃山広暉関の祈願に来た。

鳥居の左手前。

力水。


突き当りを左側にとる。

ここの神社は、大相撲の黄金時代を築いた有名力士たちが大勢参拝されているとか。

横綱・千代ノ山、吉葉山、若乃花、栃錦、大鵬、柏戸、佐田山、朝潮、栃ノ海もここを歩いたのか。

野見宿禰神社参道。

幾度となくこの神社を訪れているが、これまでこの神社は私の願いを二度しか聞いてくれてない。
一度目は朝乃山関の幕内最高優勝、二度目は朝乃山関の大関昇進。

まあ、これだけ聞いてもらったら充分か。

そうこうしている間に、開けたところに来た。


日章旗がはためく。

最後の階段を上る。

一番上に見えているのが祠だ。

芸妓の玉垣。

近くになってきた。

階段が左右前後に傾いており随分と危険。

着いた。

今度は、力士の玉垣
明治大正時代の力士84名および行司が寄進した玉垣だそうだ。

ベンチ。

ぐるっとまわりをまわる。

本龍野の街を見渡せるところにきた。


朝汐太郎の玉垣。
朝潮太郎(朝汐太郎)といえば、高砂部屋から横綱、大関を輩出している由緒ある名前。
私が応援する朝乃山関が、5代目の朝潮太郎を襲名する日が果たして来るのだろうか。

石の扉の紋章は野見宿禰と関わりのある出雲大社千家氏の家紋。

「十両に復帰する朝乃山関が、全勝優勝して幕ノ内に復帰できますように…」

穴子寿司と巻きずし。

煮麺。

紅白の餅のぜんざいをいただいた。
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