生野のまち
- 2022/11/10
- 22:52
兵庫県生野のまち。

駐車料金が高い観光地もある中、ここ生野は無料駐車場があちこちにある。
うれしい。

「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」
資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍 平成29年4月認定。

朝来市生野マインホール。

ホール、会議室、控室を時間貸しで利用出来る施設。
いくの地域自治協議会事務局でもある。
貝柱から花が咲いている。
横には、蒸気機関車 C57 93のヘッドと車輪のモニュメント。

播但線の歴史が書いてある。

生野城(奉行所・代官所)内堀跡。

路上の案内図。
生野はこれまで何回か来たことがあるが、まちは素通りして生野銀山にしか行ったことがなかった。
まちの中を散策してみよう。
但陽信用金庫 生野支店。

今でこそ兵庫県加古川市に本店を置く大信用金庫だが、最初は1926年(大正15年)6月10日 有限責任生野信用組合として朝来郡生野町(現在の朝来市生野町)に誕生した。

口銀谷交差点。
「くちがなやこうさてん」と読む。
像。

緑のリズム。

生野町指定文化財 生野代官所跡(生野平城跡)。

姫宮神社。

豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、素盞鳴命(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、軻遇突智神(カグツチノカミ)を御祭神とする神社だ。

市川を渡る。

ひとつめの鳥居。

浅田貞次郎翁銅像。

兵庫県議会議員、衆議院議員として活躍し、播但鉄道建設や生野銀行設立に関わる。
17歳の時に、生野銀山の地役人・浅田家の養子となり、1896年(明治29年)の生野鉱山民間払い下げの際には、町民の永年にわたる協力を政府に訴えるため恩賜金の確保に奔走し、町政の振興に多大な貢献をした。

ふたつめの鳥居。

手水舎。

拝殿。

私は、ある土地に来たらまずその地の神社かお寺にお詣りするシステムを構築している。
お賽銭を入れて

二礼二拍手一礼。
山名時煕(ときひろ)が応永34年(1427年)に生野古城山の山頂に築城した際、城中鎮護の神として豊玉姫命を祀ったのがはじまり。
何度も遷座し、昭和11年(1936年)に現在地に遷座し、そのときに愛宕神社を合祀したそうだ。


元の道にもどった。


口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸・旧吉川邸)。


井戸。

ひょうごの景観ビューポイント150選に選ばれている。

確かに美しいけど、「ひょうごの景観ビューポイント150選」なんて言葉、初めて聞いたわ。
トロッコ軌道跡。

当時は生野鉱山から旧生野駅までの間を、アメリカ製の6t電気機関車が500mm軌道で結んでいた。

本館の旧浅田邸は、昭和7年(1932年)建築の浅田貞次郎三男・養蔵の旧邸で、別館は、井筒屋の六代目当主・吉川増太郎の隠居部屋として明治中期に建築された。

中庭にまわる。


カトリック生野分教会。

銀谷の里。

生野まちづくり工房 井筒屋(旧吉川邸)。
お土産物販売、かふぇ、蔵ギャラリー、会議部屋などとして開放されている。

表の間。

囲炉裏の間。

裏に出た。

裏庭には、二羽、にわとりが… おらへん。

でも、オオサンショウウオが棲んどった。

井筒屋を後にする。
会所 山水の分配器。

SUMCO生野クラブ(旧松本林右衛門邸)。

(甲社宅)旧生野鉱山職員宿舎。

志村喬記念館(甲7号棟)。

日本映画の名優・志村喬さんの生家。

路地にある井戸。

共同井戸。
今井邸。

明治時代中期に建築された、大山師邸宅の別邸。大阪出格子に区切られた西面の腰板張り、南面の板張り、白漆喰塗り壁の落ち着いた伝統的なたたずまいを目にすることが出来ます。江戸時代の地役人の家屋に似ていますが、格式的ではなく前庭を持たず、一種独特の雅な風情と品格を備える風貌です。
国登録文化財
但陽美術館東館。


旧生野警察署。

旧生野警察署は、明治19年(1886年)、町内にあったフランス人技師の異人館をまねて建設された擬洋風建築物。
正面の軒瓦下には警察の紋章と生野の旧町章が残されている。三角ペディテントに軒蛇腹と、ドアがふたつ左右対称に設置されているのが特徴。
喉渇いた、お茶あったっけ?

あるじゃん。

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