生野書院
- 2022/11/08
- 22:37
兵庫県朝来市の羽渕鋳鉄橋。

神子畑鉱山と生野鉱山を結ぶ輸送路の田路川と丸山川が合流する付近に架けられた橋。
ここまで来たら生野に行くの。
生野代官所跡(生野平城跡)。


生野義挙碑
文久3年(1863)10月の生野義挙(生野の変)の事跡を後世に伝えるために、昭和15年(1940)、生野代官所跡に碑が建立されました。
生野の変は、勤王の志士と但馬の農民が一緒になって生野代官所を占拠した事件ですが、僅か3日で破陣となり、明治の世まで生き延びた者は数人に過ぎませんでした。
生野の義挙は維新の魁という言葉が伝わっています。
朝来市指定文化財

生野義擧趾。

銀山のまち 生野。
生野のまちは、生野銀山で見学や避暑をしたり生野ダムのある銀山湖まで行ったことあるが、この生野のまちを散策するのは初めてだ。

まずは、生野書院(生野資料館)で勉強しよう。

生野書院は、林木商の邸宅(大正期)を改修し、入口には明治初期に鉱山長を務めた朝倉盛明氏の官舎正門を移設した旧家の面影を残す資料館となっている。

右側の建物の、右側は休憩室。
左側は

和室になっている。
ご自由にお上り下さい。
お邪魔します。

床の間。
生野書院。

かつての兵庫県知事 貝原 俊民氏の書だ。

二つ目の床の間。
中庭。

「生野橋」の欄干親柱。
名前は、「生野橋」だが、姫路の砥堀から持って来ているようだ。

蔵展示室。

生野代官所跡の松。
播磨風土記によると、713年に応神天皇によって「生野」と名付けられたと伝えられている。そこから、1200年以上もの間、鉱山町として繁栄・発展し、山間の小さな町が、日本の財政を支え、日本の近代化を先導してきた。

入らせてもらおう。
①鉱石の道。

②神子畑鉱山~神子畑選鉱場、③明延鉱山、④中瀬鉱山。

⑤生野鉱山(江戸時代)。



⑥お雇い外国人と朝倉盛明。

⑦銀の馬車道、⑧日本遺産。

常設展示室。

古文書や書画などの文化財をはじめ、生野町絵図や銀山旧記、見石の幕など、過去の文化遺産と共に1,200年の銀山の歴史物語が展開されている。

生野1200年のロマンがつまった資料が盛りだくさん。

生野書院のすぐ前の、古民家でいただいたランチ。

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