史蹟・重要文化財 適塾
- 2022/09/26
- 22:28
適塾(てきじゅく)。
適塾は、緒方洪庵が1838年(天保9年)に大坂船場に開いた正式名称・ 適々斎塾、別称・ 適々塾という蘭学の私塾。
緒方洪庵の号である「適々斎」を由来とする。

史蹟緒方洪庵舊宅及塾。

「舊」っていう字、意味はもちろん読み方もわからん。
旧(きゅう)やって。
それなら猿でもわかる。

適塾の東西は、緑地公園になっているがお世辞にも手入れが行き届いているとは言い難い。
修景、防災上から建っていたビルを撤去して整備したそうだ。

ごめんください、邪魔すんでえ。
邪魔すんねやったら帰ってと言われることもなく中に通していただいた、参観料 一般270円払ったら。

中庭。

応接間、客座敷が見える。

緒方洪庵は、幕末における蘭学研究の第一人者。
武士(足守藩士)でもあり医師でもあった。

書斎。

客座敷。

前には前栽がみえる。

両隣りに便所があるが昔の建物は外に便所があるものと決まっていた。
まだ、廊下でいけるだけ、まし。
寒い冬なんか…

なんの話してんねん。
家族部屋。

洪庵とその家族。

緒方家および億川家 系図。

4人が早世したものの9人の子どもをそれぞれ立派に育てた夫人八重の蔭の努力は、適塾のみごとな成果を考えるとき忘れてはならないものである。

台所。

二階もご覧下さい。

もの凄い急勾配の階段。

頭上・足元にご注意下さい。
私はこれだけ急な勾配の階段を上ったことがない。

西側の史跡公園がみえる。
誰かの頭も見える。
こちらは、整備されてるようだ。
後であの頭の持ち主が誰か確かめに行こう。
誰かは、だいたい想像できるけど…

模型。

うなぎの寝床みたいに南北に細長い。

ヅーフ部屋。
フーヅ?
フーズ?

適塾における教育の中心は、蘭書の会読であったがこの予習のために塾生が使用した辞書がヅーフ辞書(長崎出島のオランダ商館長ヅーフがハルマの蘭仏辞書に拠って作成した蘭和辞書)であり、当時は極めて貴重で適塾にも一部しかなく、塾生はヅーフ部屋と呼ばれるこの部屋に詰めかけ、奪い合って使用した。
塾生の勉強は非常に熱心で激しいものであり、福沢諭吉は自ら述懐して、凡そ勉強ということについては、この上にしようも無いほど勉強したと言っている。
順路に従って縦も横も間口の狭い入り口を入る。

一段低くなっているので気を付けて。

窓の外。
塾生大部屋。

ここで

福澤諭吉、橋本左内、大村益次郎、大鳥圭介、佐野常民、箕作秋坪などが勉学に勤しんだのだろうか。

貴重な資料。

あれっ、何か写真の向きがおかしい?
外の瓦が縦向きのように見えるねんけど…
とすると、資料が置いてあるとこは天井?

見れば見る程わからん。
もやもやしたまま、外に出た。
適塾の西側の史跡公園。
さて、さっきの頭の持ち主はというと

読書する緒方洪庵先生であった。

西隣の大きな建物は、大阪市立愛珠幼稚園。
現存する幼稚園としては大阪府内では最も古い歴史をもち、また日本でも2番目に古い歴史をもつ。
現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古、また民間の手によって建てられた幼稚園としても日本最古となっている。

園の敷地は江戸時代の銅座の跡地。
ちょっと小腹が空いた。
御菓子でもいただこう。
香ばしフロランタン。

残念ながら、オランダ菓子ではなくフランス菓子。

史蹟・重要文化財 適塾パンフレットを参照
大阪大学の歴史。

大阪大学の源流は、ここ適塾。
大阪大学創設の地に建設された大阪大学中之島センター。

「平成の適塾・懐徳堂」。
2021年4月1日から2023年3月31日まで休館予定。
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