比叡山延暦寺 西塔地区と東塔地区
- 2022/08/31
- 23:43

世界文化遺産 ようこそ比叡山延暦寺 西塔諸堂 参詣道。

今回、二度目の比叡山参詣。
午前中に京都の大原の里を廻って奥比叡ドライブウェイの仰木料金所から乗ってやってきた。

鎮守社の箕淵辨財天(みのふちべんざいてん)。
また、この案内看板があった。
椿堂。

その昔、聖徳太子が登叡された折に、山の一角に光を放つ霊地を見つけられた。
太子はそこへお堂を建て、守り本尊である観世音菩薩を安置し、
持っていた椿の杖をお堂の傍らに突き刺した。
すると枝から根が生え、芽が出て、みるみる大きな椿の木に成長したという。
故にお堂の名前は椿堂と呼ばれている。

椿堂周辺は、工事をしていた。

親鸞聖人ご修行の地。

親鸞聖人旧跡。
比叡山延暦寺は、確か天台宗の最澄が開いたはず。
小学校の社会科で習った。
対して親鸞は、浄土真宗の宗祖のはず。
なのになぜ、比叡山の山中に親鸞ゆかりの地があるのか。
比叡山延暦寺は、山全体が修行の場の広大な寺院で、鎌倉仏教の祖師方は、比叡山でご修行されている。
親鸞もそのうちのひとり。

乱暴な言い方をすれば、鎌倉仏教の祖師方の中で、比叡山で学んだことが無いのは、真言宗の空海(弘法大師)だけ。

左側が、常行堂。

右側が、法華堂。

弁慶のにない堂。
西塔にある法華堂・常行堂という二つの建物は、渡り廊下で繋がり並び立っている。
その昔、怪力の弁慶が、この渡り廊下を天秤棒にして二つの堂を担いだ…との伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれている。

なんぼ力持ちの弁慶でもそれは信じられん。
にない堂廊下の下をくぐって下におりる。

西塔の本堂にあたる釈迦堂(転法輪堂)がある。
一般に本堂には上っていく場合が多いのに、ここは下っていくんやな。
途中、右側にある西塔政所。

延暦寺学問所 止観道場と書いてある。

釈迦堂(国重要文化財)。

現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築物中最古のもので、もとは三井寺園城寺の弥勒堂(金堂)だった。
織田信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が現在地に移築させた。

龍の手水。

布教伝道絵看板。

釈迦伝1 太子誕生。

報恩 伝教大師一千二百年大遠忌。

恵亮堂。
大楽大師恵亮を祀っている。
予定の1時間が経過した。
横川地区で1時間、この西塔地区で1時間、次の東搭地区で休憩もかねて2時間予定していたので予定通りだ。
「登叡成佛」と彫られた石碑。
これは、開山した最澄の直筆が四国の石に刻まれたもので、「比叡山に一歩踏み入れただけで成仏に一歩近づきますよ」という意味だそうだ。

東塔地区に到着。

横川地区、西塔地区と違って、食堂兼土産物屋の無料休憩所がある。

報恩 伝教大師1200年大遠忌 天台宗祖師先徳鑽仰大法会。

国宝殿。

比叡山回遊案内図。
また、布教伝道絵看板があった。

左側は、伝教大師最澄さまについて。
右側は、鎌倉時代の日本仏教各宗派を開いた祖師たちについて。
比叡山延暦寺は、お寺というよりお寺の指導者を育てたお寺。
大学でいえば、「大学の指導者を育てる大学」なのだ。
とにかく懐が深い。

あった、我らが親鸞さま。

親鸞聖人(1173年~1262年)浄土真宗御開山。

一隅を照らそう。

伝教大師・最澄さまの著書「天台法華宗年分学生式(てんだいほっけしゅうねんぶんがくしょうしき)」よりの出典。

大講堂。

瑞雲院。
前唐院。

慈恵大師良源(元三大師)の住房。
大講堂(国重要文化財)。

学問修行の場。
織田信長の焼き討ち(1571年)後、寛永19年(1642年)に復興されたが、1956年(昭和31年)の放火による火災で焼失した。
現在のお堂は1964年(昭和39年)に山麓坂本にあった東照宮讃仏堂を移築したもの。
中にはご本尊の胎蔵界大日如来、向かって右に弥勒菩薩、左に十一面観音。お堂の左側には聖徳太子と伝教大師最澄の像、右側には桓武天皇、天台智者大師(中国で天台宗を開いた高祖)の像がある。
鐘楼。

開運の鐘、世界平和の鐘と呼ばれる。

なすび婆。
その昔、比叡山にはなすび色の顔をした老婆の妖怪がいたという。
この老婆、若かりし頃は女官として宮中に仕えていたが、
人を殺めたため死後地獄へ落とされた。
しかし仏の慈悲により、心は比叡山に住むことを許された。
その仏思に報いるため
「織田信長の比叡山焼討ち」の際には
大講堂の鐘楼の鐘をついて皆に危険を知らせたという。

一回50円で鐘が撞ける。
安い、三井寺の晩鐘は確か800円要った。

福田海 奉納牛像。

宗教法人福田海(岡山市)は、一生を人間のために尽くす牛の供養を実践されることで知られている。。

サントリーホールディングス奉納の摩尼車?
ここにもお土産屋…

根本中堂前売店。

隣には、独自の消防車が待機していた。

萬拝堂。
ここは、あとで寄ろう。

まず、総本山根本中堂。

比叡山延暦寺とは、私たちが想像するような単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)に分かれ、この御山にあるすべての堂塔伽藍あらわしたもの。

延暦寺文殊楼(もんじゅろう)。

延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになる。

伝教大師童形像。

経読む髑髏(どくろ)。

その昔、最澄が自ら建てた草庵から上弦の月
を眺めていると、どこからともなく読経の声がした。
その声を辿ってみると庵近くの塚の中から
聞こえてくるではないか。
おもむろにその土を掘りおこしていくと
声は次第に大きくなり、ついには読経する
髑髏が現れた。最澄はすぐさま念仏を唱え
その髑髏を供養したという。

根本中堂。
今年も修理工事中。

令和4年の言葉 「大悲万行」。
他人のため尽くす行いを。

堂内撮影禁止。

2016年(平成28年)より平成の大改修(10年間の予定)。

根本の根本中堂。

もう一度、萬拝堂。

「萬拝堂」の文字のごとく日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に迎えて奉安して、日夜平和と人類の平安を祈願している平成の新堂。

一隅を照らす会館。

この先の坂を下りたところにある延暦寺会館。
鶴㐂そば、梵字男前プリン、開運厄除スイーツ、梵字ラテ、梵字テラミスなどいろいろ食べたかったけど時間切れ。

ごまどうふを買って帰った。
私のために仏を作ってはなりません。
私のために経を写してはなりません。
私の志を述べなさい。
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