京都大原三千院
- 2022/08/29
- 23:37
きょうと〜 おおはら さんぜんいん
仕事に疲れた男がひとり〜♪
三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原来迎院町にある天台宗の寺院。

京都市街の北東に位置する山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある。

青蓮院、妙法院とともに、天台宗山門派の三門跡寺院のひとつに数えられている。
三千院は、その天台三門跡寺院の中でも最も歴史が古く、最澄が延暦年間(782年 - 806年)、比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷(比叡山内の地区名)の梨の大木の傍に一宇を構え、「円融房」と称したのがその起源という。
御殿門をくぐる。

いかなる戦争も反対です。
即時の停戦を訴えます。
和平の協議を訴えます。
三千院門跡。

受付で拝観料を払って

客殿の参拝入口に。

三千院でできる3つの体験。
01 公式オーディオガイド
02 3年後へ旅する言葉
03 サウンドトリップ

天台宗 一隅を照らす運動。


堂内は、撮影禁止。

だが、外の景色は、撮ってもいい。

ていうて同じとこばっかり撮らんでも…

格子の中から

縁側を

外を撮るだけでも楽しい。
抹茶の休憩所があった。

1番。

ちょっと、待っちゃ。
カバンやらカメラやらいろいろおろすから。

あま~い羊羹と

しぶ~い抹茶。

絶妙のハーモニー。
ごちそうさまでした。

しばし、庭園を眺める。

庭園「聚碧園(しゅうへきえん)」(京都市指定名勝)。
池泉観賞式庭園で客殿の周囲に広がる。

お堂内から外部の撮影の旅は続く。

おーい、出してくれ〜。

やっと、お堂内から解放された。

宸殿 (本堂)から持ち回っていた靴に履き替えて阿弥陀堂に向かう。

国宝・阿弥陀三尊像を堂内の空間一杯に安置している。

正式名称、往生極楽院。
往生極楽院(旧称・極楽院)は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年(明治4年)に梶井門跡の本坊がこの地に移転してきてからその境内に取り込まれたもので、三千院と往生極楽院は元来は別々の寺院である。

庭園「有清園(ゆうせいえん)」(京都市指定名勝) 。
池泉回遊式庭園で宸殿前から往生極楽院にかけて広がる。

緑色の池。

有清園の名称は中国南朝・宋の詩人謝霊運の「山水有清音」という句に由来する。

緑が美しい。
朱雀門。

江戸時代の再建で、かつては極楽院の正門であった。

わらべ地蔵。

まるで別世界に来たようだ。

石段を上がる。

鳥居。

京の七福神 妙音福寿大弁財天。
宇賀神。
なんかどっかのテレビ局の女子アナみたい。

またも石段を上る。

到着。

無料お茶所。

和心堂。

金色不動堂。

智証大師円珍作と伝えられる秘仏金色不動明王を本尊とする1989年(平成元年)4月建立の根本道場。

寫經塔。

観音堂。

身の丈3mの金色の観音菩薩立像が祀られている1998年(平成10年)建立の建物。

観音堂の周りには御縁を結ばれた方々の小観音像が安置されている。

二十五菩薩 慈眼の庭。

補陀落浄土を再現している。

赤い橋。

あの下の川は、律川。

鎌倉時代の石仏。

阿弥陀如来像。
かわゆす。

これがおさな地蔵?
可愛すぎる。

紫陽花苑を通って出口に向かう。

三千院は、8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源を持ち、後に比叡山東麓の坂本(現・滋賀県大津市坂本)に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移ったものである

「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は大原に移転して以降使われるようになったもので、それ以前は「円融院(円融房)」、「円徳院」、「梨本門跡」、「梶井宮」、「梶井門跡」などと様々な名称で呼ばれていた。

伝教大師聖悟
照干一隅、此則国宝。
スポンサーリンク
ここに広告のコードを入れる