大原の里
- 2022/08/28
- 23:36

「ここ、私たちが住んでるとこと変わらんやん。」
「何言うてんねん、ここ京都市左京区やで。
もっというなら、もっともっと北側まで左京区。」

一般車が上がれるのは、ここまで。
ほんなら、大きな道沿いからやったらだいぶ距離があったんや。

呂川。

まず体力のあるうちに川に沿って来迎院を目指す。

そう、ここは大原の里。
大原は、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するとされる。
比叡山の北西麓にあることから延暦寺の影響が強く、勝林院・来迎院・三千院・寂光院など多くの天台宗系寺院が建立され、平安時代の大原は平安京と若狭湾を結ぶ若狭街道の中継地点として栄えた。

良忍上人絵伝。
良忍上人は、13歳で比叡山に登り天台の教祖と観心を学ぶ。
比叡山では自他救済の仏道実践が行じ難くなったので、22歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧。
来迎院を創建し、1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始した。

川に沿って上っていくと左手に
これは、何の門やろう?

隣の建物の門やな。

川の流れが心地よい。
この鳥居は?

勝手神社。

来迎院が見えてきた。

ここって、高倉天皇の皇后(中宮)、建礼門院徳子が、壇ノ浦の戦いで生き残り出家した後、安徳天皇と一門の菩提を弔ったところやったっけ?

来迎院本坊 参道口。

山門。

会館受付で入山料を払ってパンフレットをいただく。。

あれっ、建礼門院徳子のけの字も載ってない。

本堂参拝入口。

鐘楼。

本堂。

本尊は、薬師如来、釈迦如来、弥陀如来。

平安時代初期に伝教大師最澄の直弟子・慈覚大師円仁が天台声明の修練道場として開山。
その後、天仁2年(1109年)融通念仏の祖とされる聖応太師良忍がこの寺に入寺して再興した。。

本堂を出て御廟を目指す。

御廟参拝入口。

左手は、収蔵庫?

外界と隔絶した雰囲気の山道を登る。
橋を渡る。

この下の川が、律川。

御廟に到着。

思い出した。
平清盛の娘・建礼門院徳子が、平家滅亡後隠棲した場所であり「平家物語」ゆかりの寺は、寂光院(じゃっこういん)やった。

三千院門跡。

そば処。

志ば漬の里。

土井志ば漬本舗。
川勝總本家。

京都大原 森善 京の銘品館。
御食事処

生ゆば。
京美茶屋と読める。

梶井門跡 三千院。

三千院の中でいただいた。
大原のしそ茶。

金粉が浮いている。

大原のしそ
当地特産のしそは昼夜の寒暖の差が大きい山里の盆地に最適の作物で、大原では昔より栽培され、又、その成分は高く評価されています。
ごちそうさまでした。
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