高野山金剛峯寺
- 2022/08/07
- 04:15
高野山金剛峯寺。

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺。
奥の院中の橋の門柱とそっくりだ。

表門(正門)。

「金剛峯寺」という寺号は明治期以降は1つの寺院の名称になっているが、高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が金剛峯寺の境内地なのだ。

金剛峯寺鐘楼。
高野山の霊木・高野槙。

昭和52年4月18日 昭和天皇皇后両陛下 行幸啓記念植樹。

「こうやまき、こうやまきって売っていたのはこれやったんか。
なんか高野豆腐を甘辛く炊いたものを海苔巻きにした美味しい食べ物かと思っていた。」
「ほんまに食いしん坊やねんから。」

金剛峯寺経蔵。

金剛峯寺かご塀。

主殿(総本山金剛峯寺 本坊)。

午前8時30分から午後5時(受付16時30分まで)まで有料で内部を拝観できる。

資料の数々。

この先、有料です。

中学生以上 1,000円
小学生 300円
未就学児無料

廊下。

高野開創三鈷杵(こうやかいそうさんこしょ)。
弘法大師こと空海が遣唐使の船に乗って唐(今の中国)に渡り、仏教の修行をして真言密教を日本で広めたのはよく知られている。
空海は日本に帰国する前に、真言密教の教えを広めるには何処がいいのか三鈷杵という密教法具を空に向かって投げた。
すると三鈷杵は天高く舞い上がり、日本に向かって飛行機のように飛んでいったという。
帰国した空海が真言密教を広めるのに相応しい地を探して日本中を周っていたところ、高野山で松の木に引っかかっていた三鈷杵を見つけたので、ここを真言密教開創の地と定めた。

輿。

縁側。
多分、上壇の間。

襖絵が撮影禁止なので部屋の中は、撮影できない。


中庭。

屋根は檜皮葺。
写真には写ってないが、屋根上には雨水を貯める天水桶とよばれる桶が設置され、境内で火災発生時、桶の水を屋根にまくことで火の粉による類焼を防ぐ役割があった。

あそこの突き当りは何だろう?

窓から見えるのが真然廟。
主殿の裏の丘に建っている。
750回忌の寛永17年(1640年)に建立され、1990年(平成2年)真然大徳1100年御遠忌記念事業で解体修理された。
元々、真然堂として祀られていたが、解体修理の際に、遺骨が入っていた御舎利器が発見されたため、現在、真然廟として整備されている

登ること禁止。

囲炉裏の間で、土室(つちむろ)と呼ばれている。

台所。

竈。

寶来飾紙(ほうらいかざりがみ)。
これを飾ると、家運隆昌、魔除け、招福開運、家内安全、無病息災の御利益があるといわれている。

二石釜。
一つの釜で約七斗(98㎏)のご飯を炊くことができる大釜が三基並んでいる。
三つで一度に二石(約2,000人分)のご飯を炊いたもので、昭和50年代までは年末の餅つきの際に使われていた。
二石釜の真上には行灯が釣られ、正面には台所の神様である三宝荒神をおまつりしている。

かご。
あかん、順路をまちがえた、出口に出てまう。

蟠龍庭の方に向かおう。

長い廊下。

これが蟠龍庭っ、まさかな。

別殿の周りをぐるっと回ると

雰囲気出てきた。

蟠龍庭(ばんりゅうてい)。

1984年(昭和59年)弘法大師御入定1150年御遠忌大法会記念事業として造園された日本最大級の2340㎡の石庭。

蟠龍とは、天に昇れるのになぜか昇らずに蛇のように蜷局を巻いて様子をうかがっている龍のこと。

雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っている姿を表現している。
龍を表す石は四国の花崗岩を140個使用し、雲海を表す白川砂は京都産を使用している。

阿字観(あじかん)体験待合所。
阿字観とは、主に密教において説かれる瞑想法であり、日本では、平安時代の弘法大師空海によって伝えられたとするものを指す。


高野槙。

いろいろ勉強になった。

帰りは下門から。

寺紋は三つ巴紋と五三桐紋。


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