高野山奥の院
- 2022/08/06
- 04:14
念願の大門に着いた。

行きたい行きたいと思っていた高野山。

高野山の総門で、高さ25.8m 5間重層の大楼門。
大門の両脚に構える高さ4.8mの力強い金剛力士像は、阿形像を仏師康意が、吽形像を法橋運長が造ったとされている。

高野山への入り口。

奥の院から参詣してみよう。

こうやくん。
高野山開創1200年マスコットキャラクター。

南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)。
南無大師遍照金剛とは、真言宗のお経で「弘法大師空海に帰依する」の意味。
「遍照金剛」は空海の灌頂名(かんじょうめい)であり、大日如来の別名でもある。

奥の院参道。
おすすめは、一の橋からのコースらしいが今回は時間の制約もあり、最もポピュラーで短時間コースの中の橋コースから行くことにした。

奥の院まで続く参道は樹齢数百年を越える杉木立が続き、これぞ高野山。
ここ奥の院は、高野山の信仰の中心。

ロケット型の慰霊塔。

生かせいのち 高野町 総本山金剛峯寺。
高野山真言宗のスローガンだ。

福助の旅、ちゃうちゃう、足袋。

シロアリにも優しい。
しろあり やすらかにねむれ。

アデランス。

過去に感謝 未来に希望
この大きな古墳みたいなのも墓だろうか。

救世観音菩薩(ぐぜかんぜおんぼさつ)。

「人々を世の苦しみから救ってくれ」

TOYO TIRE。

おっ、ヤクルト。

今、ヤクルトスワローズもヤクルト1000も絶好調!

親鸞聖人墓参道。

紀陽銀行物故者慰霊塔。

日産自動車物故従業員慰霊碑。

UCC上島珈琲。

十字路を右折する。

橋を渡って突き当りが

昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた英霊殿。

楽書塚。

ここは弘法大師様がお住みになる聖地です。
一、タバコは吸わないで‼
一、ゴミは捨てない、置かないで‼
一、祈願の張り紙はしないで‼

そうこうしている間に、先行していた相方からメールが来た。
タバコはだめ、飲食はだめ、写真撮影はだめ、携帯電話通話もだめ。
以後、弘法大師さまが御入定されている聖地まで大人しく歩いた。
わかやま歴史物語100より
高野山は空海の御廟を中心とする聖域で、古くから奥之院と呼ばれます。承和2年(835)に没した空海は、今もなお高野山で「入定(永遠の瞑想に入る修行)」していると信じられています。聖域入口の「一の橋」から奥之院へと続く参道は、約1800本もの古木に覆われ、20万基を超える墓石群とともに厳粛で神秘的な時間が流れています。ちなみに、高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっています。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるというから驚き。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えました。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れる高野山の懐の深さを体感してみてはいかがでしょうか。
これは、写真撮ってもええやろ。

いろはす もも。
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