和歌山散歩
- 2022/08/05
- 17:12
和歌山旅行、二日目。
JR和歌山駅周辺を散歩した。
JR和歌山駅地下道で次のような案内板を発見。

【秀吉の太田城水攻め跡】
1585年(天正13年)4月22日、3週間の持久戦を経て太田左近はじめ武将50余名が自刃し降伏した。
秀吉軍は、総延長約6~7km、高さ約4~6m、基底部幅約34mの堤をわずか6日間で築いている。
太田城水攻めは、岡山県高松城、埼玉県忍城(おしじょう)と並び日本三大水攻めとして有名。

JR和歌山駅東側ロータリー東。

太田城主 太田左近像。
太田左近 像まで建っているのに彼に関する史料等は皆無に等しいと云われている。

南東500mほど行ったところにある太田城本丸跡。
逆光で見えにくいが

太田城水攻遺蹟 小山塚。
村人を守るために犠牲となった武将たちがをまつられている。

本丸跡と伝わる来迎寺。

境内に入らせていただこう。

水子地蔵。


永代有縁塔。

太田城址碑。

太田城跡 説明板。
太田城は、現在の来迎寺・玄通寺を中心に東西に二町半(約273m)、南北に二町(約218m)で周囲に深い堀をめぐらし、塁上は土壁とし、各所には高い櫓を設け、城門は大門・南大門・西北門があり、平城であるが当時の城としては強固な城造りであったとされている。
1585年(天正13年)、根来寺を焼き打ちにした豊臣秀吉の紀州攻めに遭った。
太田党は、太田左近宗正を大将として、約5000人が太田城に籠城し、10万余人の秀吉軍に対して強く抵抗したため、秀吉軍は城を囲む総延長約5~6km(駅地下の案内板では総延長約6~7kmとなっていた)にも及ぶ堤を築き、水攻めを行った。
水攻めを仕掛けた豊臣勢と1カ月近く対峙した末、ついに左近ら主な武将50余人の首を差し出すことを条件に、他の人々の命を救ったとされる。
JR紀勢本線。

アドベンチャーワールド号が来たのに電柱が邪魔になって写真が撮れんかった。

今度は、わかやま電鉄のたまちゃん号が来たのにこれも綺麗に撮れんかった。
もう、なにしとんねん。

惣光寺。

ここに太田城水責図がある。

線路を渡って国体通りに出た。
すると、デジャブー!

夢にまで見た中華そば専門店井出商店に来た。
現在8時30分。
開店までちょうど2時間ある。
なんぼなんでも待たれへん。

メニューでも撮っとこう。

和歌山出身の大スターもニッコリ。

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