KG 西宮上ヶ原散策
- 2022/06/21
- 22:25
関西学院(クヮンセイガクイン)、昔は素晴らしい響きだった。

関西学院大学中高等部正門。

あの新島襄先生が作った同志社と肩を並べる名門だった。

関西学院大学正門前。

1889年、アメリカ南メソヂスト監督教会派遣の宣教師ウォルター.R.ランバス師が、神戸の「原田の森」に關西學院を設立。
創立40周年を迎えた1929年、ここ西宮上ヶ原に移転した。
1905年英語教師・宣教師として来日したW.M.ヴォーリズによって西宮上ヶ原キャンパスは設計された。

赤い瓦屋根とクリーム色の外壁を特徴とする関学独特の建築様式「スパニッシュ・ミッション・スタイル」は日本でも屈指の存在。
関学初等部のある宝塚市の宝塚大劇場を彷彿させる。

学院本館。

ランバス記念礼拝堂。

吉岡記念館。

宗教センター、神学部事務室になっている。
関学を象徴する中央広場。

中央講堂。

関西学院125周年記念講堂。

経済学部。

国の登録有形文化財に登録されている時計台。

旧図書館で、現在は大学博物館および学院史編纂室。

7月4日から10月1日まで学院を築いた4人の院長展が開催される。

大学図書館。

経済学部の裏手には

日本庭園がある。

キャンパス内には、川も流れている。

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震。
震災直後の1995年4月に、兵庫県三田市に神戸三田キャンパス (KSC) を開設。
この頃から、名門関学の歯車が少しずつ狂い始める。

2009年には、お隣の聖和大学と経営統合を行うことでキャンパスの拡充と教育学部の開設をした。

ところが、神戸三田キャンパス開設と聖和大学との経営統合が今のところ裏目に、経営安定のため推薦率を上げたことがますますの裏目に出るという負のスパイラルに陥りかけている。
でも、末松信介文部科学大臣、小池百合子東京都知事、宮内義彦オリックス会長など錚々たるOBがついている関学。
ここで喰いとどまれば、必ず復活する。
送迎バス。

運動施設を見に行ったろう。

関西学院 第3フィールド。

ここには、硬式野球場(12,800m2(内野:黒土、外野:ロングパイル人工芝))、アメリカンフットボール場(10,300m2(全面ロングパイル式人工芝))、馬場および厩舎がある。
硬式野球グランド。

関学硬式野球部は、1899年創部の大学野球界の草分け的存在だ。

宮西尚生選手、荻野貴司選手、清水誉選手も多分ここで練習した。

近本光司選手(阪神タイガース)もこのグランドを走り回ったはず。

黒原拓未投手(広島東洋カープ)も投げたであろうブルペン。

両翼97mの立派な球場を後にして

第4フィールドへ。

イノシシ出没注意!の看板があるということは、逆にこの柵の向こうには猪がいるということか。

第4フィールドに行くのは、命がけやな。

ほんまに山の中。

行けども行けども山の中
ついに谷底まで落ちてしまった。
ところどころに第4フィールドっていう立看板があるから信用して行けるけど、なかったら遭難するレベルだ。

第4フィールドに着いた。

第4フィールドは、サッカー場(9,600m2(全面ロングパイル人工芝))、テニスコート(オムニ3面、ハード3面、クレイ1面)。
関学サッカー部は、あの天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会において関学クラブとして4回(1929、1930、1958、1959)、全関学として3回(1950、1953、1955)優勝している超名門。
安達貞至氏、加茂周氏、長沼健氏などを輩出している。
こんな名門チームが、こんな山の中に追いやられているなんて…
もう一度第3フィールドに引き返す。
馬術部の馬場。

出た、アメリカンフットボール専用グランド。

関学と言えば関西学院大学ファイターズ。
獲得したタイトルは、ライスボウル優勝1回ならびに史上最多となる甲子園ボウル優勝32回(4回の両校優勝を含む)の計33回で、全国学生チーム中最多記録である。

立派なスタンド。

素晴らしいグランド。

総合関関戦。

KUC散策。

関西学院会館。
公友課、同窓会、ベーツチャペル、レストランが入っている建物だ。

宝塚ホテルが運営するレストランが撤退するというので行ってみた。

さようなら、ポプラ。
キダ・タロー氏、豊川悦司氏、小山乃里子氏、角淳一氏、野村啓司氏等々 ますますのご活躍をお祈りしております。
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