国宝 松江城 @島根県松江市殿町
- 2022/05/25
- 22:08
国宝五城。

正確には、江戸時代までに建てられ現在も残っている天守12城のうち国宝の天守閣を持つ五つのお城のこと。
兵庫県姫路市の姫路城、滋賀県彦根市の彦根城、愛知県犬山市の犬山城、島根県松江市の松江城、長野県松本市の松本城の5つの城である。

島根県松江市の松江城。
別名・千鳥城。

松江開府の祖 堀尾吉春公像。

国宝 松江城天守。
大手前。

井戸跡。
大手門跡。

本坂を登る。
左側通行。
天守に向かって行く階段(本坂)の途中にある

ハートの石ってこれやろか。

二之丸地区解説板。

三ノ門跡。

松江城下絵図。

二ノ門跡。

この門をくぐって入場料を払う…のかと思ったら、お城の中に入らなかったらなかったら入場料は不要のようだ。
中に入りたい気もするけど、時間がない。
天守に到着。

まじかで観たら迫力がある。

入母屋破風の中には、野菜のかぶに形が似た蕪懸魚(かぶらげぎょ)が取り付けてある。
懸魚とは、水に強い魚の飾りを屋根にほどこして木造建築を火災から守るための火除けのまじない。
花頭窓とよばれる禅宗寺院の窓の意匠が始まりといわれ飾りの一種である釣り鐘型の窓。
三層の中央に配置されている。
各層の屋根の隅々にある鬼瓦は、後世のものとは違って角がほとんどなく、一枚ごとに異なった珍奇な表情をもっている。
なんかロケ隊。
腕章を見たら兵庫県の

サンテレビやった。

石垣。
切り出された時の矢穴の残るあまり加工されていない石などを積み上げたつくりで、高さ約7m。

裏側からみたところ。
1600年、関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入城し、松江藩が成立。
月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、運送などに有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近く、末次城跡を城地の候補とし、1607年(慶長12年) 末次城のあった亀田山に築城を開始。
1611年(慶長16年) 、松江城が落成した。

天守閣に登らなくても、松江の町が見渡せる。

多門跡。
城内にある松江神社。
堀尾忠晴が創建した東照宮と、松平直政を御祭神とする楽山神社を合祀した神社である。

本殿の手前には、狛犬が入口を守っているが、ここの狛犬は「構え型」と呼ばれる後ろ足を立てていつでも飛びかかれる態勢の狛犬。
全国的には珍しいが、出雲地方の神社では多く見られるそうだ。

すぐ横にある萌黄色の興雲閣。

1・2階ともにコロネードの廻廊をめぐらせた特徴のある外観だ。

カフェ、展示室に向かう赤絨毯。
二階。

松江城内に1903年(明治36年)に明治天皇行幸時の御宿所として建設された擬洋風建築の迎賓館。

大広間。

貴顕室。

畳の間もある。

ここでも、何かの撮影が行われていた。

興雲閣を出る。

御書院跡。

二の丸上の段。
これで、国宝五城のうち行ったことのないのは、松本城だけになった。
松江城HPより
築城時、何度積み直しても完成間近になるとガラガラと大きな音を立てて崩れてしまう石垣があった。ちょうど松江城の鬼門の方角に当たる部分であったため、築城主である堀尾吉晴は霊験あらたかな宮司を招き、敷地内を調べてもらった。すると宮司が掘ってみろ、と崩れた石垣の根本付近の一点を示した。その場所を掘り起こしてみると槍の穂先が刺さったしゃれこうべが現れた。これを三日三晩の大祈祷の末手厚く祀るとようやく石垣は積み上げることができたという。この時掘った穴をさらに掘り下げると清らかな水が滾々と湧き出し「ギリギリ井戸」とよばれ重用された。(「ギリギリ」とは方言で「つむじ」のこと。穴の形がつむじの形に似ているから、城のちょうど中心あたりに位置するから、など諸説あり)
松江城の石垣にまつわる話はバリエーションがある。
築城の際、石垣に積み上げても積み上げてもどうしてもうまくいかない部分があったため、人柱を立てることとなった。折しも盆踊りの時期であったため、城下で盆踊り大会が催され、その中で一番美しく踊りのうまい娘が攫われ生きたまま人柱にされた。その石垣は無事に積み上げることができたが、城下で盆踊りが行われると天守が大きく揺れ動き、御城下に災いがあるとされ、いまでも松江城近くでは盆踊りは行われていない。
松江藩の藩主が2代続けて改易になったのも娘の祟りだという人もいる。
松江と言えば大きな宍道湖がある。

食べたもの、宍道湖七珍のしじみ。
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