出雲大社 @島根県出雲市大社町
- 2022/05/22
- 22:03
出雲大社にお詣りした。
前回来た時は、屋根を葺き替えていた。
今回は、完全な姿を観ることができるのか。
出雲大社周辺は、どこも駐車料無料。
なんと太っ腹なんや。
君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで。

さざれ石の由来
この石は通稱さざれ石といわれ岐阜県春日村の産
古今集に天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈りこの石の如くましませと詠われた後に一部改作されて日本の国家となりました。
学名は石灰質角礫岩で長い年月の間に溶解した石灰石が多くの小石を集結して次第に大きく生長したもので誠に目出度い石であります。
岐阜県揖斐川町の故小林宗一(号宗閑)によって発見されました。
平成11年4月吉日
本来は、一番南側の一の大鳥居からお詣りするのだろうが、近いところから観ていくことにする。

神楽殿。

神楽殿とは、神社の境内に設けた神楽を奏するための建物のこと。

神楽殿に行く前に、手前右の祓社(はらえのやしろ)にお詣りする。

ご存知、金刀比羅宮。

御祭神は、大物主神。

こんぴらさんらしく、うさぎが舟に乗っている。
出雲大社の神楽殿といえば大注連縄(おおしめなわ)。
この注連縄のインパクトが強すぎて、ここを拝殿(本殿)と思っている人がいるぐらいだ、知らんけど。

神社参拝の作法は二礼二拍手一礼が一般的だが、出雲大社は二礼四拍手一礼。
出雲大社で参拝するときに四拍手をする意味や理由については、「四季を表し、実りと繁栄を祈願している」とか「東西南北(四方向)を守護する神に敬意を示している」という説がある。
素鵞川を渡って本殿に向かう。
大木にズラッと巻いたおみくじ。

初め何かなと思った。
西側の出雲大社末社 十九社。

御祭神は、八百萬神(やおよろずのかみ)。
旧暦10月には全国の神々が大国主大神の許にお集まりになられ、人々の幸福、生成発展のために神議なさる神在祭が斉行され十九社は、その際の神々の宿となる。
平素は全国八百萬の神々への揺拝所。

氏社。

出雲大社本殿内の御神体は稲佐の浜のある西の方角を向いて鎮座されており、本殿正面からは神様を横から参拝する形になる。
彰古館。

本殿の北西方にある宝物館。

可愛いうさぎさんたちがお出迎え。

本殿の裏側に当たるが、以前来た時にはなかったような…
素鵞社(そがのやしろ)。

ヤマタノオロチ退治で有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る社。
大国主大神の父神とされ、御本殿後方の一段高いところに祀られている。
強いご神気を感じる場所といわれている無敵のパワースポット。
文庫。

ふみぐらと読む。
大神大后社(御向社)。

釜社(かまのやしろ)。

「お稲荷さん」として信仰されている宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)が祀られており、食物を司る。

東の十九社。
八足門までまわってきた。
御祭神に最も近づける門で、通常はここから御本殿を参拝する。
神様の前で住所、名前、生年月日、電話番号を告げて、二礼四拍手一礼を忘れずに。
ここまでしないと、神様も大勢の参拝者の中から特定できないからだ。

出雲大社の神紋。

社紋ともいう。

出雲大社は、言わずと知れた「縁結びの神様」。
「因幡のしろうさぎ神話」で有名な大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)をお祀りしている。
大国主大神は、幾多の困難を越えて国土を開拓された国造りの神様であり、さらにその国土を天照大御神(あまてらすおおみかみ)に譲った国譲り神話でも知られている。
出雲大社は、国譲りの代償として造営されたのが起源とされている。
しまね観光ナビより

拝殿前のこの三つの円形は、以前の神社が建っていた柱の跡だそうだ。
ツアーガイドさんの話が聞こえてきた。

庁舎。
国旗日の丸が小さく見えるが、ポールの高さは47m、旗の大きさは75畳もある。
だけど、本殿の高さは超えないように作られているそうだ。

これが拝殿。
1963年に新築された拝殿は、戦後最大の木造神社建築といわれており、高さは12.9mで大社造りと切妻造の折衷様式。
しめ縄が一般の神社とは左右逆なところにも注目したい。
アシンメトリー。

向こうが宝物殿。

宝物殿の横の赤い柱のようなものは、かつて御本殿の中心を支えていた「心御柱」。

別名「神祜殿」。
出雲大社の悠久の歴史を物語る数多くの貴重な文化財や美術品が展示されている。

拝殿。
裏側からお詣りしてきた人は、八足門で満足してよくこの拝殿をすっ飛ばす。

神馬神牛像。

神馬は地元の人から「かねおまさん」と呼ばれ撫でれば子宝・安産に恵まれ

神牛は学力向上が期待できると言われている。

鳥居があった。
四の鳥居で、本来は最後の鳥居。

銅でできているので銅鳥居ともよばれる。

社務所。
銅鳥居の右手前に鎮座するムスビのご神像。

大国主大神が神様になられる前の修行中の頃に、幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)といった魂が荒波の向こうから現れその魂を頂く場面が表されているという。

出雲大社の主祭神である大国主大神は、多くの兄弟の末っ子として出雲に生まれました。
大きな袋と打出の小槌を持って米俵の上に立つ「だいこく様」の姿でもお馴染みです。
神話では「因幡の素兎」が有名で、サメに全身の皮を剥かれた白ウサギが、大国主大神の兄達から“海水に浸かり風に当たれば治る”と教えられ、そのとおりにしたところ傷は酷く悪化してしまった。
ウサギが痛みで泣いているところを遅れてやってきた大国主大神がやって来て、“真水で塩を洗って蒲(ガマ)の穂に包まれると良い”と教えたところ、ウサギの傷が癒えたというお話で、大国主大神の優しい性格がうかがえる一幕です。
大国主大神は出雲王朝を繁栄させるという偉業を成し、多くの女神と結婚してたくさんの子供をもうけました。
大国主大神が縁結びの神様と言われる由縁でもあります。
出雲観光ガイドより
御慈愛のご神像。

因幡の白うさぎを表している。
だいこく様を見上げるうさぎちゃんが可愛い。
いかにも、助けてくれてありがとうという目をしとる。

縁結びの碑。

のちに夫婦となった大国主大神と勢理毘売神が描かれており、その前でうさぎちゃんがお酒を酌み交わしている。

神話の杜。
三の鳥居。

鉄のこじんまりした鳥居なので、あまり注目を浴びない可哀想な子。
三の鳥居から向こう側は通行禁止なので、くぐる人も少ないようだ。
祓橋。

ここから銅鳥居までが松の参道とよばれる。
あれっ、野見宿禰神社野立て看板が…

相撲場。

そう、野見宿禰命は相撲の神様。

気が早いが、来場所から復帰するであろう朝乃山の活躍を願った。

まわしをつけて、うさぎ関も応援してるで。

参道の真ん中は、神様が歩くとこやから、人間は遠慮して端を歩く。

祓社。
ここで穢れを落とす。

二の鳥居、別名勢溜の大鳥居。

出雲大社境内の一番南、正門にあたる所にある広場を勢溜と言うが、これは江戸時代この広場に芝居小屋が設けられ人の勢いが溜まる所という事で勢溜と呼ばれる様になったと伝えられている。
鋼管製の大きな鳥居で、ここから左手には八百万の神々が 稲佐浜から出雲大社へとお通りになられる。
以前は、確か木造だったような…

ここから神門通りを約500m行くと宇迦橋の大鳥居が堂々と建っているはず。

一の大鳥居は、工事中だった。
残念。

出雲そば。

今回は、車を一番近い駐車場に停めて、完全に逆回りをしてしまった。
次は、一の大鳥居からさざれ石までゆっくりとお詣りしてみたい。
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