一ノ谷の合戦(源平合戦)
- 2022/05/18
- 04:12
兵庫県神戸市須磨区。

一ノ谷の合戦(源平合戦)が行われた場所だ。
JRでは、幾度となく通ったところだが、実際に降り立ったのは初めてだった。

平敦盛塚。

平敦盛は、平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平家側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。
次は、一ノ谷の合戦の時に、安徳天皇が隠れていた(語弊があるか)という場所に行ってみよう。

ニの谷ロックガーデン。

山陽電車の線路下をくぐって山側に

見るからに急斜面だ。

休園してる須磨海づり公園が見える。
つづら折りの坂を登る。
高台の住宅地の中の一の谷公園(内裏跡公園)に着いた。

安徳天皇が内裏を置かれたと伝えられている地。

皇女和宮の像

安徳帝をお祀りした安徳宮

安徳宮
御祭神 安徳天皇(第八十一代)1178~1185
源平の戦で源氏に追われられた安徳帝は西走の途中、
一ノ谷に内裏を置かれたと伝えられている。
この地に安徳帝のご冥福を祈るために祀られたのが安徳宮である。
安徳帝は寿永四年(1185)下関壇ノ浦の戦いにて
祖母二位の尼(平清盛の妻・建礼門院の母)に抱かれ、
八才で海中に身を投じられた。


鵯越の逆落し

戰の濱碑




力水。

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