豊岡市立出石明治館
- 2022/05/03
- 22:43
兵庫県豊岡市出石町にある豊岡市立出石明治館(いずしめいじかん)。

出石明治館は、出石町の歴史、出石所縁の人物を紹介する博物館。
建物は擬洋風建築の西洋館であり、豊岡市有形文化財に指定されている。

1887年(明治20年)、出石城跡近くの登城橋公園内に出石郡役所として竣工。
正面玄関のある木造2階建の背部に平屋建を連結した構造で、明るい浅葱色の壁面は当時流行した色だった。
正面玄関ポーチのペディメントやコリント式の柱頭などに明治時代の郡役所の威厳をうかがうことができる。
1939年(昭和14年)、北東約300メートルの現在地に移築、1984年(昭和59年)には一般公開が開始され、2004年(平成16年)には館内がリニューアルされた。

小京都 出石城下町を一望しよう! コウノトリから見た「出石・俯瞰マップ」。

建物の中は、出石に関する資料がいっぱい。
そらそうか、出石の博物館やもんな。

映像にみる出石の歴史。

これが、一望マップか。

出石鉄道設立100周年記念 豊岡市商工会青年部出石支部創立50周年事業 「出石鉄道 車両6号車模型ミニチュア展示」。

ボール紙でできているようだ。
大友工投手展示室 蓄音機・カメラ展示室。

大友工選手は、東京讀賣巨人軍、近鉄バファローに在籍したサイドスローのピッチャー。

トロフィーや盾の数々。
在籍10年で通算130勝、1955年にはなんと1シーズンで30勝をあげられている。

大阪タイガースのファンだったのに読売ジャイアンツに見出されて読売ジャイアンツに入団した大友投手。
兵庫県は阪神タイガースのお膝元なので、兵庫県民のほとんどがタイガースファンと思われているが、兵庫県でもジャイアンツファンは多い。
昔は、このYGマークとHTマークの野球帽で人気を二分しとった。

1953年度 沢村賞盾、1952年 セントラル・リーグ優勝盾。
大友工 栄光の軌跡。

出石町出身の元プロ野球選手「大友工(おおともたくみ)」氏は、別所毅彦、中尾碩志両投手とともに読売巨人軍の三本柱として第二期黄金時代をささえた投手です。
彼は、昭和25年から昭和33年にかけて活躍し、この間
最多勝利:2回 (1953年、1955年)
最優秀防御率:1回 (1953年)
最高勝率:2回 (1953年、1955年)※セ・リーグ5位タイ
沢村栄治賞:1回 (1953年)
最高殊勲選手(MVP):1回 (1953年)
ベストナイン:1回 (投手部門:1953年)
日本シリーズ最優秀投手賞:1回 (1953年)のタイトルを獲得しました。
また、昭和27年に松竹戦でノーヒットノーランを記録し、翌28年には、ニューヨーク・ジャイアンツ戦で日本人として初めてアメリカ大リーグ相手に完投勝ちを成し遂げるなど、投手としての栄誉をほしいままにしました。
大友工氏により、現役時代に受賞した沢村賞の盾を初めとする記念品の数々をご寄贈いただき、ここに大友工選手の栄光の軌跡を紹介し、その業績を末永く顕彰しています。

この水色のビジターユニフォームとクリーム色のホームユニフォーム。
9連覇が偉大すぎて、今でも頭の中からはなれへん。

蓄音機とカメラの展示室でもある。

蓄音機、今でいうレコードプレーヤー。
いや〜、レコードプレーヤーも言わんか。

歴史を彩った出石の人物展。

元阪神タイガースの能見篤史投手が案内してくれる。
彼もまた出石出身の元プロ野球選手。
大友工選手ほどの派手さはないが、通算104勝という立派な働きをしている。

歴史を飾った人物展 近代化時代を生きた出石の人物展開催中。

二度に渡る幕府の鉄槌(仙石騒動)と桜井一太郎(石門)。

弘道館に使用されていた瓦。

出石藩弘道館復元模型。

「明治美術会」の設立者 松井昇…

出石焼大壺。

陶磁器は、土器、せっ器、陶器、磁器の4種類に分けられ、出石焼は、磁器に分類される。
旧郡役所展示室。

郡長室。

出石郡長席。

郡長 「出石町長、この方に出石そばを振舞って差し上げなさい。」
町長 「はい、かしこまりました。」

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