津山洋学資料館
- 2022/04/27
- 22:30
岡山県津山市にある津山洋学資料館。

昨年のさくらまつりのときには、寄れなかったので、今回は寄ってみた。

知は海より来たる。
ここ津山市を含む美作地方は、日本の近代化に貢献した優れた洋学者を多数輩出したことから、洋学の研究施設として1978年(昭和53年)3月19日に開館し、関係資料や史跡の調査研究を行っている。

宇田川玄真先生。

宇田川玄随先生。

宇田川榕菴先生。

箕作秋坪先生。

箕作阮甫先生。

津田真道先生。
かつては市内に点在して設置されていた洋学者のブロンズ像を前庭に集められている。
それで、あっちゃ向いてホイしてるのか。

ガス灯。
瓦斯、水素、圧力、珈琲などの言葉は、津山藩の洋学者から生まれたと言われている。

「津山洋学五峰」と称される(宇田川玄随・宇田川玄真・宇田川榕菴・箕作阮甫・津田真道)をモチーフに、五角形のホールと展示室の連なりを基本として設計されている。

入館してみた。

館内、写真撮影禁止。

1920年(大正9年)建築の旧館は、1973年(昭和48年)まで銀行として使用された後津山市に譲渡され、津山洋学資料館として2010年(平成22年)に新館が完成するまで使用された。
ここ津山洋学資料館(つやまようがくしりょうかん)は、岡山県津山市の城東町並み保存地区にある洋学を専門とする博物館である。

もう出口だ。

Uギャラリー。

あっ、そうや。

さっきもらったリーフレットでも撮ったろ。
1975年(昭和50年)、津山出身の洋学者・箕作阮甫の生家である箕作阮甫旧宅が国史跡の指定を受けて復元されたことをきっかけに、津山に縁ある洋学者を顕彰する機運が高まり、旧妹尾銀行林田支店の建物を活用して1978年(昭和53年)に開館した。
開館時の収蔵資料は約600点であったが、その後32年間で9,400点と大幅に増加し、収蔵スペースの不足を解消するため、2010年(平成22年)に現在の城東町並み保存地区内に新築・移転された。
私には、この資料館は難し過ぎた。

横の箕作阮甫宅にまわった。
「みつくりげんぽ」と読む日本の武士・津山藩士、洋学者(蘭学者)。

箕作阮甫の生い立ち。

箕作阮甫の生涯と業績。

和室。

雰囲気がある。

かまど(竈)。

白壁の土蔵。
日本初の大学教授である

国指定史跡 箕作阮甫旧宅。
箕作阮甫は、江戸時代後半の洋学(蘭学)全盛期の中心的な学者のひとりで、洋学所や種痘館の設立に務めたほか、外交にも携わり、医学書をはじめ語学や地理、歴史、兵法など多様な分野の200点近い翻訳著述を行い、西洋文明の輸入消化に大きな功績を遺した洋学者である。
箕作家は、阮甫の5代前の当主であった曽祖父・貞辨の世代から医業に携わり、阮甫の父である3代目貞固の時代から津山松平家の藩医を務めた。
珈琲。

漢字による当て字である「珈琲」は、江戸時代末期の医蘭者宇田川榕菴(うだがわ ようあん)が考案し、自筆の蘭和対訳辞典に記載したのが、最初であると言われている。
コーヒーについての紹介「哥非乙説(こひいせつ)」も記している。
Wikipedia参考
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