菅原道真 命日
- 2022/02/25
- 23:01
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

大宰府への左遷により故郷を離れることとなった菅原道真が、ともに育ってきた紅梅殿の梅に向けてよんだ詠。

2月25日は、菅原道真の命日。

兵庫県高砂市にある曽根天満宮に行った。

菅原道真(すがわら-の-みちざね)は、幼少の頃より学問の才を発揮しておりわずか5歳で和歌を詠んだ事から「神童」と称された。
学問だけでなく、成長すると弓も百発百中の腕前であるなど、文武両道として、その名を馳せる。
894年には、唐の国情不安と衰退を理由に「遣唐使」を廃止させた。
これが、のち日本独自の平安文化「国風文化」を生むことになり、独特な服装である十二単 (じゅうにひとえ)や、 日本独自の文字となる「かな文字」の発明に至ることになる。
その後、右大臣へと破格の昇進をしたが、左大臣・藤原時平の策略により、無実の罪に問われて、901年九州の大宰府に突如左遷させられたのだ。
大宰府に赴いてから約2年後の903年2月25日、菅原道真は大宰府にて死去し安楽寺に葬られた。
享年59。
その後、都では、疫病や飢饉が発生し、左遷させ権力闘争に関わった藤原時平らが相次いで亡くなった事で、朝廷は「道真の祟り」だとして恐れるようになり、菅原道真が眠る安楽寺に919年から「安楽寺天満宮」を建立して供養することになった。
太宰府天満宮。
こうして菅原道真は神様として天満宮に祀られる事となり、以降は学問の神様として信仰を集めることになるのだ。
天満宮・天神と言う名の神社は日本全国にあるが、天満・天神とつくと通常の祭神は「怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」と言う菅原道真になる。

曽根天満宮 霊松殿。

菅原道真がお手植えされたという曽根の松。

お祭神は、菅原道真、天之穂日命、菅原公達(菅原淳茂)。

学問の神様なので、受験シーズンともなると、参拝者があとをたたない。

梅まつり。

40種150本の紅梅、白梅。

訪れた時は、まだ時期が早かった。

味の素KK 梅がゆ。

国産コシヒカリ100%使用。

肉厚の梅干しを丸ごと入れました
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