西天目瑞巌山 高源寺
- 2021/11/23
- 23:42
紅葉の名所・丹波。

天目楓が綺麗だ。

兵庫県丹波市青垣町桧倉にある臨済宗妙心寺派の寺院・西天目瑞巌山 高源寺。
円通寺、石龕寺とともに「丹波紅葉三山」のひとつとして知られる。
関西花の寺二十五霊場第4番札所。
総門。

弘巌玄猊禅師が柏原藩の支援により再建した。
正面にある額「丹丘勝処(たんきゅうしょうしょ)」は弘巌玄猊の筆。

鎌倉時代の正中2年(1325年)、遠谿祖雄(えんけいそゆう)の開山で、翌年、後醍醐天皇から高源寺という寺号を賜り、その後、柏原天皇の御代、永正15年(1518年)に天皇の勅願所となっているという由緒あるお寺だ。

山門が見えてきた。

紫鳳楼とも呼ばれるこの山門も、寛政2年(1790年)頃、弘巌玄猊により再建。

二階の天井には弘巌玄猊によって描かれた四天女図と梅花経文図がある。
表側の額は伏見宮貞義親王の筆で、裏側の額は朝鮮総督府の雪軒の筆という。

佛殿(本堂)。

法王殿とも呼ばれる。

享保5年(1720年)頃、天巌禅師の建立による。
正面は、本尊釈迦如来の坐像で、伝恵心僧都作といわれている。
また、左側は衣を着用された後醍醐天皇の法身の像で、左は伝小野篁作の如意輪観音像で、他は諸国大名の位牌を安置している。

心字の池。

永正14年3月、後柏原帝の勅願があり勅使下向。
智傳禅師にその名園を嘉賞された。

どうやって見たら「心」の文字に見えるのだろう?


庫裏にあたる方丈。

仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方が生まれ、そこから寺院の住職が生活する建物を特に方丈と呼ぶようになった。

ここも弘巌玄猊禅師による再建。

なぜか映画「信虎」。

紅葉が見頃。

中の開山堂には、中峰国師、開山遠谿祖雄禅師、中興天巌禅師の像が安置され、歴代住職の位牌も安置されている。

法話、精進料理、座禅は、ここで行われる。

勅願所のため、後円融、後柏原、後水尾、後鳥羽、桜町、霊元、後奈良天皇などの御宸筆、歴代天皇下賜綸旨等を所蔵している。

鐘楼。

梵鐘は1947年(昭和22年)12月に鋳造。
以前の鐘は太平洋戦争中に金属類回収令によって供出された。

大痩嶺。
この築山は、画僧 雪舟が造築したと云われるもので、中国の大痩嶺をかたどって樹木岩石が配置されている。
雪舟は、寛正年間、大明国に渡り、四明天童山において禅と画道を究めた。

橋が見えた。

三笑橋。

この渓谷を虎谿泉と云い、谿中の巨岩を虎石と云い、この石橋を三笑橋と云う。
三笑橋の由来は、中国虎谿にて、遠渊・開山遠谿禅師らの三法師が、虎の鳴く声を聞いて大笑いした故事に基づくと云われている。
渡り初めは稲土村の老夫婦とのこと。(この情報必要か?)
多宝塔。

見た目は三重塔であるが、内部には輪蔵が置かれており経典が納められている。
寛政2年(1790年)頃、弘巌玄猊禅師による建立。

三国伝来の金仏で、インドの毘須鳩摩の作である開運毘沙門天が祀られている。


坂道を下る。

橋。


丹丘荘。

麓でいただいたものは

あまごの塩焼きと

あまごめし。
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