熱田神宮 御参詣
- 2021/11/06
- 23:14
熱田神宮にやってきた。
東海地方を、というより日本を代表する神社。

西の鳥居。

菅原社。
御祭神に学問の神様として崇められる菅原道真公をお祀りされている。
下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)の石を戴いて帰り、願いがかなうと倍の大きさの石を菅原社へ奉納するという珍しい風習も伝えられている。

参道は真ん中を歩いたらあかん。
真ん中は、神様が通るとこやからあけとかなあかんねん。

御手水。
反対側には、神話と歴史でたどる熱田神宮千九百年の歴史と銘打ったパネルが並んでいる。

113年 景行天皇43年 日本武尊、伊勢の国・能褒野(のぼの)にて薨去(こうきょ)草薙神剣を熱田の地に祀る
195年 仲哀天皇4年 氷上姉子神社創祀
686年 朱鳥元年 草薙神剣が神宮還座
708年 和銅元年 八剣宮創祀
845年 承和12年 尾張浜主(103歳)が舞を奏す
907年 延喜7年 延喜式名神大社に列せられる
1194年 建久5年 源頼朝奉幣
1377年 永和3年 熱田本『日本書紀』奉納
1560年 永禄3年 織田信長、土塀奉納(信長塀)
1868年 明治元年 神宮号を賜り、熱田神社から熱田神宮となる
1878年 明治11年 明治天皇御参拝
1893年 明治26年 遷宮にて神明造に改修
1916年 大正5年 大正天皇御参拝
1935年 昭和10年 遷宮
1945年 昭和20年 空襲で被災
1946年 昭和21年 昭和天皇御参拝
1955年 昭和30年 遷宮 再建
2005年 平成17年 天皇、皇后両陛下御参拝
2007年 平成19年 本殿改修着工
2009年 平成21年 造営竣功し遷座祭
三英傑である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ともにゆかりのある神社。
特に、織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた話しは有名である。

鳥居。

本宮。

私は旅に出たら、まずその地の神様にお詣りするシステムをとっている。
名古屋に来て熱田神宮にお詣りせんと帰るわけにはいかん。

熱田大神を主祭神に、相殿神には、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命をお祀りしている。

屋根に風格を感じる。

こころの小径。

この小径を進んでいると

一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)。


古くより格別に尊いお宮として篤い崇敬を集めてきた熱田神宮。

境内は、昔から雲見山・蓬莱島の名で知られ、静寂でとれも大都会の中にいるとは、思えない。

俗に「お清水(しみず)さま」と呼ばれ、その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰がある。

清水社。
本殿の東、御田神社の北に鎮座。
御祭神は水をつかさどる神様である罔象女神(みずはのめのかみ)をお祀りしている。

御神木。
約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿している。

御田神社(みたじんじゃ)。
五穀豊穰の守護神である「大年神(おおとしのかみ)」をお祀りしている。
大年神の「年」の字には、穀物、特に穂が稔るという意味があり、農耕中心の日本人においてどれほど大事な神様か、容易に推察が出来る事でしょう。

土用殿(どようでん)。

龍神社(りゅうじんじゃ)。
吉備武彦命(きびたけひこのみこと)、大伴武日命(おおともたけひのみこと)をお祀りしている。
『日本書紀』には、景行天皇より日本武尊に遣わされた東征に従う神々としてその名が記されている。

初宮参り・安産・厄除け・家内安全などのご祈祷を奉仕する社殿・神楽殿(かぐらでん)まで戻ってきた。

ならずの梅(ならずのうめ)。
江戸時代模写の享禄古図(室町時代の境内)にも描かれている古木で、花は咲くが実がつかない。
したがってならずの梅といわれている。

西楽所(にしがくしょ)。
神楽殿の前にあり、桧皮葺(ひわだぶき)が美しい建物。
元は海上門(かいじょうもん・昭和20年焼失)内に相対して東楽所もあったらしい。
この西楽所は貞享3年、将軍綱吉の再建で神宮にあっては数少ない明治以前の建造物の一つ。
信長塀。

永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、ここ熱田神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)。
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名だ。

東八百萬神社。

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大幸田神社(おおさきだじんじゃ)。
五穀をはじめ食物を司る「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」をお祀りしている。
社名からも、田に大きな幸福をもたらすと解することができ、一説に「福の神」即ち富貴栄達を祈る神様と言われている。

医薬の神様 内天神社(うちてんじんじゃ)。

手前から、乙子社、姉子社、今彦神社、水向神社(みかじんじゃ)、素盞嗚神社、日長神社の六末社(ろくまっしゃ)。
御祭神はいずれも日本武尊および尾張国造に関係する神々だ。
熱田神宮の境内・境外には、本宮の外、一別宮、十二摂社、三十一末社が祀られている。

宝物館。

鳥居。

屋台が出ている。

境内案内図。

徹社(とおすのやしろ)。
天照大神の和魂(にぎみたま)を御祭神にお祀りしている。

神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、和魂は慈しみ加護してくださる神とされている。

鳥居。

また、鳥居。
大きな神社は、鳥居だらけやからいかんわ。
楠御前社(くすのみまえしゃ)。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りしている。
俗に「子安の神」又は「お楠さま」と呼ばれ、種々の病気を治し、殊に安産の神としての信仰が厚く、小鳥居に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれている。
このお社には社殿がなく、垣をめぐらした中に社名の示すとおり、楠の神木が祀られている。

曽志茂利社。

南新宮社(みなみしんぐうしゃ)。

疫病退散を願う「京都祇園まつり」で有名な八坂神社のご祭神と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)をお祀りし、6月5日を祭日として南新宮社祭を行っている。
熱田神宮唯一の丹塗りの社殿。

孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)。

尾張氏の祖とされる天火明命(あまのほあかりのみこと)をお祀りしている。
式内名神大社に列せられている。
日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)。

天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)をお祀りする式内名神大社。
この鎮座地は往古、海に臨む「干崎(ひさき)」と呼ばれたと伝えられている。

木の鳥居(正門、南門)。

上知我麻神社(かみちかまじんじゃ) 知恵の文珠様。


左側には、 事代主社(ことしろぬししゃ) 恵比須様。

右側には、大国主社(おおくにぬししゃ) 大黒様。

別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)。

元明天皇和銅元年(708)9月9日に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて、祀ったことが創祀。

建築様式をはじめ、年間の祭典・神事に至るまで全て本宮に準じて執り行われる。
古来、武家の信仰が殊に篤く、天正3年織田信長は長篠に出兵の際社殿の修造を命じ、又慶長4年家康は拝殿・回廊・築地の修造を、貞享3年将軍綱吉は本殿の造替を行った等の記録が残っている。

神の遣いか
鶏が放し飼いにしてある。

眼鏡之碑。

二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)。
尾張名所図会(おわりめいしょずえ)や名古屋甚句(なごやじんく)で名高く、板石が25枚並んでいるところからこの名がついており、名古屋では最古の石橋といわれている。
昔ながらの優雅な姿は誠に見事。

名古屋甚句。
西行法師(さいぎょうほうし)が、これほど涼しい宮を誰が熱田と名をつけた、というユーモラスな唄がある。
「ア~ 宮の熱田の二十五丁橋で エ~ ア~ 西行法師が腰をかけ 東西南北見渡してこれほど涼しいこの宮を たれが熱田と ヨ~ ホ ホ ア~アア 名をつけたエ~トコドッコイ ドッコイショ」

亀?
南神池(みなみしんいけ)。

船。
境内中心あたり西よりに位置し、池の周辺一帯を整備して参拝者が憩える場所になっている。

食べたもの

宮きしめん
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