村上海賊ミュージアム
- 2021/03/23
- 04:36
村上海賊ミュージアム。

愛媛県今治市の大島にある日本唯一の水軍博物館。
村上元吉公像。

瀬戸内を制した戦国最強の村上海賊。
その村上海賊の本拠地の一つであり、小説「村上海賊の娘」の舞台となった能島城。
史実に基づいた数々の戦国ロマンを体感できるのが、ここ村上海賊ミュージアムなのだ。

今にも襲ってきそうな雰囲気がある。

村上武吉公像。

和田竜さんの小説「村上海賊の娘」が本屋大賞を受賞した記念碑。

近くに寄ってみる。

屋外に船が展示してあった。

小早船(こはやぶね)。
小早船とは、村上海賊の機動力として活躍した小型の船をいう。
この船は、日本一の水軍レース大会を目指し、平成2年(1990)に、小佐田哲男先生(東京大学名誉教授)の監修の下、宮窪町が復元を行った第1号船である。
全長8.4m・幅2mで、長さ6.6mの5丁櫓を搭載している。
手前に見えるのは、繋船石(けいせんせき)と呼ばれるもので、宮窪町戸代沖、古波止より発見され、昭和58年(1983)に、村上文彦、村上恒文両氏によって引き揚げられた。
船を繋ぐ木柱を立てるためと推測される直径25~30cmの円形孔が穿たれた花崗岩の台座である。

武吉丸。

入口の右側に座っている村上景親公像。

海賊の親玉でもコロナを恐れてマスク着用していた。
入館。

村上海賊の城 能島城跡。

バリィさん。
あっ、そうか、ここは愛媛県の今治か。

観覧料 大人310円を払う。

宮窪町のマンホール蓋。

村上海賊関連年表。


近代海軍が学んだ「水軍」の教え。

ー 大将たる人は道を正しく行うべし ー
どこかの大将に聞かせたい言葉や。

村上海賊ミュージアムのキャラクター、かげちかくん。

現在もつづく能島村上家の直系の祖で、実在の村上景親をモチーフとしたキャラクター。
村上武吉をモチーフとした旧宮窪町のキャラクター「のしまくん」の子どもで、初陣前の幼少期という設定。
「村上海賊の娘」では、「逃げ足の早い臆病者」という設定だが、後に数々の武功を立てる強者。
同小説でも人気のあるキャラクター。

村上海賊とは?

村上海賊(村上水軍)は、14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族である。
後世には三島村上氏などと呼ばれ、能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、連携と離反を繰り返しつつも、互いに強い同族意識を持っていた。
そしてここ宮窪に本拠を構えた能島村上氏が三家の中でもっとも独立性が強いとされ、特に村上武吉の時代には、毛利氏・大友氏・三好氏・河野氏といった周辺の戦国大名たちと、時に友好関係、時に敵対・緊張関係となりながらも独自の姿勢を貫いた。
日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、能島村上氏を‟日本最大の海賊“と称した。
武吉および息子の元吉・景親の時代に全盛を謳歌する能島村上氏は、西は北部九州から東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握し、平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割を果たした。
日本遺産 村上海賊。

二階に上がってきた。

みきゃんもお出迎え。

常設展示室 第1室 能島の海。
ここは海賊 能島の海

しまなみ海道がよく見える。

常設展示室 第2室 海賊たちの活躍

引いて撮った全景の写真は、撮影OKとのこと。

常設展示室 第3室 発掘!海賊たちの遺跡

まあ、写真を撮らせてくれるだけましか。
なかには、一切写真撮影不可の博物館もあるもんな。
常設展示室 第4室 ちょっと潮待ち 常設展示室 第5室 村上家記念室

ここには、能島村上家の子孫に伝来する貴重な古文書や美術工芸品が展示してあるので照明が暗くしてある。
三階に上がってみた。

展望室「しまなみ空中散歩」。
目の前には瀬戸に浮かぶ史跡能島城跡、足元には空からみたしまなみ海道が広がるが、あいにくこの日は雨で視界が悪かった。
かつては、近代海軍の前身ともいうべく「村上水軍」と呼ばれていたが、最近、「村上海賊」と呼ばれることが多くなってきた。
それは、「水軍」では彼らの多様な活動を表現できないためである。

オリジナルグッズを売っているショップ。
「海賊」と聞けば、理不尽に船を襲い金品を略奪する無法者、いわゆる「パイレーツ」をイメージしていたが、ミュージアムを訪れて、海の航行者の水先案内をしたり警護をするという、いわゆる、マイナスイメージだけではないことがわかった。
石鎚山サービスエリア (上り線)。

じゃこ天そばと

フライドポテトとデザートをいただきました。
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