松尾芭蕉
- 2021/01/19
- 04:34

三重県伊賀市は、忍者と芭蕉翁のまち。

史跡芭蕉翁誕生の地。

松尾芭蕉の生家に寄ったが、改修中だった。

芭蕉祭。
芭蕉さんは、忍者と並んで伊賀の人に愛されているみたいや。
何年たっても地元の人に愛されている人は、やっぱりええ。

竹藪。

三重県伊賀市の上野公園(伊賀上野城)内にある伊賀市立芭蕉翁記念館。

入ってみる。
入場料 大人(大学生以上)300円。

入ってすぐ正面にある芭蕉翁像。

エントランス以外は、写真撮影禁止。
衣装。

草鞋。

この履物をはいて

このかばんを持って全国を行脚したんやな。
それにしては、綺麗すぎひんか。
1684年(貞享元年)8月、芭蕉は『野ざらし紀行』の旅に出る。
東海道を西へ向かい、伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張・甲斐を廻った。
1687年(貞享4年)8月14日から、芭蕉は弟子の河合曾良と宗波を伴い『鹿島詣』に行った。
1687年(貞享4年)10月25日からは、伊勢へ向かう『笈の小文』の旅に出発した。
東海道を下り、鳴海・熱田・伊良湖崎・名古屋などを経て伊勢神宮を参拝し、一度父の33回忌のため伊賀に戻るがまた伊勢に入った。
その後吉野・大和・紀伊と巡り、さらに大坂・須磨・明石を旅して京都に入った。
西行500回忌に当たる1689年(元禄2年)の3月27日、弟子の曾良を伴い芭蕉はいよいよ『おくのほそ道』の旅に出る。
下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前など、彼にとって未知の国々を巡る旅は、西行や能因らの歌枕や名所旧跡を辿る目的を持っており、ここで多くの名句が詠まれた。

芭蕉翁紀行足跡地図。
見てみると確かに兵庫県の明石までで途絶えているのが見てとれる。
道理で兵庫県から西はなじみが薄かったんや。

古池や蛙飛びこむ水の音 (ふるいけや かはづとびこむ みずのおと) 『蛙合』

45歳の芭蕉による『おくのほそ道』の旅程は六百里(2400キロ)にのぼり、一日十数里歩いた日もあったという。
これは当時のこの年齢としては大変な健脚でありスピードである。
これに18歳の時に服部半蔵の従兄弟に仕えたということが合わさって「芭蕉忍者説」が生まれる。
旅程を見ても、出発の前に絶賛していた松島では一句も詠まずに1泊して通過している。
これは、仙台藩の内部を調べる機会をうかがっていたためだとされている。
随行者で弟子の曾良が記した『曾良旅日記』では、仙台藩の軍事要塞といわれる瑞巌寺、藩の商業港・石巻港を執拗に見物したと書かれている。(曾良は幕府の任務を課せられ、そのカモフラージュとして芭蕉の旅に同行したともいわれている)。
その上、『奥の細道』にて往訪した仙台藩、庄内藩、加賀藩は古土法よる煙硝(火薬)の産地で有ることなどからますます隠密説がまことしやかにささやかれるようになったのだ。

投句箱。

芭蕉翁と伊賀市。

上野公園(伊賀上野城)内にある俳聖殿。

旅に生きた漂白の詩人 松尾芭蕉。
この俳聖殿は、松尾芭蕉の旅姿を模した八角堂だ。
そういわれてみると、松尾芭蕉の旅姿にしか見えなくなるから不思議だ。

伊賀市内で買ったお土産。

その名も、忍者せんべい。

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