福知山城
- 2020/10/27
- 04:13

福知山城に、やって来た。

麓にある野外シアターで予備知識をいれてお城に向かう。
お城は、様々な人の魂が感じられてなんかええ!

明智光秀が築いた城下町。
福知山城は、 1579年(天正7年)ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として新たに城を築いたのが始まりとされている。

あんなとこに人が…
危ない。
写真、撮りよるのか。

門。
鉄砲石。

鉄砲の名手牧重郎左衛門の技量を後世に伝えるために、ときの8代城主松平忠房が建立した記念碑。
本丸、天守の東側に残っている「豊磐井」(とよいわのい)と呼ばれている大型の井戸。

この井戸は、朽木稙綱の神号「豊磐稙綱命」にちなんだものである。
井戸の深さは50mあり、海面下7mに達し、高所に関わらず水深37mもあり、現在も満々と水をたたえている。
伝承ではこの井戸に抜け穴があり、二ノ丸の北側の対面所裏にあった横穴に通じていると言い伝えがある。

福知山城天守閣鯱瓦。
福知山城は、北近畿で唯一、天守閣があるお城だ。

入城。
入ったところは、地下1階で

上に上がるとそこが1階。
上段の間。

天守閣内部は郷土資料館として公開されており、古代から近代にかけての城や福知山にかかわる歴史資料を展示してある。
もちろん、自由に写真が撮影できる。

福知山城下絵図。

光秀シアター「天涯の刃~我、乱世を翔り~」。

福知山光秀ミュージアムの会期(2020年1月11日~2021年1月11日)にあわせ、ここ城内特別展示室で、光秀最後の戦い「山崎の戦い」を基にした映画(16分間)を上映している。

2018年(平成30年)11月24日(土)、25日(日)には、この部屋が、将棋のタイトル戦 第31期竜王戦七番勝負第4局の舞台となった。(竜王戦史上初お城での開催)

天守閣の模型。
2階に上がる。

萌え~!

お城の中で、こんなに萌えになるとは思わんかった。

いがいと!福知山PR武将 明智光秀展。
甲冑を着けている光秀さんもええが、スーツの光秀君もええ。

なんかエロい。

“イケメン”姿の戦国武将が多数登場し幅広い年代の女性に大人気のゲームアプリ『イケメン戦国◆時をかける恋』と明智光秀ゆかりのまち福知山が、現在、コラボレーションを行っている。

城下町風景。

四ツ目結紋火縄銃、御神刀、四ツ目結紋具足。
右側の像は、木造朽木稙綱座像。

さあ、天守閣に登ってみよう。

3階。
4階。
望楼からの城下の眺めは抜群。

北側。
由良川が見える。

西側。
福知山駅の方向か。

そして、東側。
あれが、山陰本線の鉄橋かな。
現在では、京都府内で“登れる”天守閣がある城はここだけだ。

光秀時代の石垣が残る城。
石垣は、 築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる自然石をそのまま用いた豪放なもので、 福知山市の指定文化財となっている。
一見乱雑に見えるが、 石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられている。
裏に廻ってみた。
福知山城石垣の転用石。

もともとは寺社などで使われていた石塔などを「転用石」として石垣に使われている。
その数500以上。 これだけ沢山の転用石を間近で見られるのは、全国広しといえどもここ福知山城だけだそうだ。。

銅門番所(あかがねもんばんしょ)。

明治時代のはじめに廃城令で取り壊され石垣と銅門番所だけになっていたが、1986年(昭和61年)11月に、市民の瓦1枚運動などの熱意が通じて3層4階の天守閣が再建された。

あっ、「しゃべる光秀自販機」!

一本買ってみた。

出た、今を時めく、竈門炭治郎!
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