比叡山延暦寺
- 2020/11/04
- 04:56

初めて、比叡山延暦寺に行った。
「登叡成佛」と書かれた石碑。
これは、開山した最澄の直筆が四国の石に刻まれたもので、「比叡山に一歩踏み入れただけで成仏に一歩近づきますよ」という意味だそうだ。

報恩 伝教大師1200年大遠忌。

親鸞聖人 浄土真宗御開山(そば喰い木像)。
高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった比叡山延暦寺は、乱暴な言い方をすれば、「お寺というよりお寺の指導者を育てるお寺」。
円仁慈覚大師、智証大師など天台宗の基礎を築いた高僧だけでなく、融通念仏宗の開祖である良忍聖応大師、浄土宗の開祖である法然、浄土真宗の開祖である親鸞、臨済宗の開祖である栄西、曹洞宗の開祖である道元、日蓮宗の開祖である日蓮など多くの名僧を輩出しており、天台法華だけにとどまらず、密教や禅、念仏も教えていた延暦寺は、「大学の指導者を育てる大学」なのだ。

一隅を照らす
伝教大師・最澄さまの著書『天台法華宗年分学生式(てんだいほっけしゅうねんぶんがくしょうしき)』よりの出典。
鐘楼。

ここは東塔地域。
「延暦寺」とはひとつのお寺の名称ではなく、比叡山の山上一帯に位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総称だ。
比叡山は最盛期には三千を越える寺社で構成されていたと記されている。

根本中堂。
東塔の根本中堂は延暦寺の総本堂であり、ご本尊は最澄作の薬師如来で、比叡山の始まりとなる「一乗止観院」のあった場所。
周りをシートで覆って大改修中であった。

萬拝堂。
このお堂はそんなに大きくはないが、宗派を越えて日本全国の神社仏閣の神様仏様や世界の神々をお迎えし、世界の平和を祈願する宗教のいわば博物館。
スケールがでか過ぎる。

何手観音? 何面菩薩?
大きな珠がまわりに108個あったり、干支が書いてあったり、じっくり読んでいたら、ここだけで半日はかかる。

東搭地域の名前の由来となった「東搭」。

阿弥陀堂。

剛力彩芽、ちゃうちゃう、剛力無双 比叡の弁慶。
かの武蔵坊弁慶も、比叡山で鍛錬したのか?
西塔地域。

延暦寺西塔諸堂の参詣道。

まずは、浄土院に向かう。
東塔地域は、老若男女参拝者が多かったが、ここ西塔地域に来ると途端に参拝者が減った。
そのなかで、若い女の子同士やカップルが目立つ。
なんか、女性雑誌にでも紹介されたのか?

浄土院(伝教大師御廟)。

親鸞聖人ご修行の地。

真盛上人修学之地。
常行堂と法華堂。

遠くから見る釈迦堂(釈迦如来)。

近くまで行っても標準レンズがないから先を急ごう。
三つ目の横川地域。

「よこかわ」と書いて「よかわ」と読む。

これをひとつひとつ読んでいたら日が暮れてしまう。

龍ヶ池辯戝天。
ものすごい雨になってきた。
写真なんか撮っとる場合ちゃう。

元三大師堂(がんさんだいしどう)で、雨宿りをさせてもらおう。

写真で見ても雨粒がわかるほどだ。

河 横 山 叡 比。
この絵を見たことがあるだろうか?
角大師(つのだいし)。
平安時代、比叡山延暦寺の僧である元三大師は、疫病が蔓延して人々が困り果てていた時、「角大師」の姿に変神して疫病を追い払ったと伝えられている。
江戸時代には、「角大師」のお姿を写し取った御影を門に貼ると疫病から逃れられる魔除けの護符として、国中で信仰されるようになった。
越前国では、これを門前に貼ることで、国中の疫病が収まったと伝えられている。
最近、コロナの影響で、アマビエの絵とこの角大師の絵をみることが多くなったような気がする。

ここ元三大師堂は、おみくじ発祥之地でもある。
庶民の味方の元三大師。
元三大師堂は、はじめは弥勒菩薩を御本尊をとしていたが、いまは元三大師の画像を本尊としている。

道元禅師得度霊跡。

横川中堂。

東塔地域の延暦寺会館で食べた蕎麦の味が忘れられない。

延暦寺御用達 鶴喜そば。

山菜そば。

鶴喜そば 比叡山和労堂店
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