多田神社
- 2020/09/21
- 23:58
兵庫県川西市にある多田神社に参詣した。
天禄元年(970)に創建され、元多田院とも、また、多田大権現社とも呼ばれる大変由緒ある神社。

県指定重要文化財の西門。
兵庫県の自治体41のうち、最後に訪れた川西市。
これで、兵庫県も全市町制覇したことになる。

ところが、最後に訪れた地のこの神社がとてつもない神社だった。
なんと清和源氏発祥の地。
清和源氏とは、第56代清和天皇の流れをくみ、臣籍降下(しんせきこうか)により源姓を賜った一族のことをさす。
源氏の中でも最も有名な氏族を輩出した系統で、源頼朝・足利尊氏・武田信玄・今川義元・明智光秀などそうそうたる顔ぶれが揃う。
一般に源氏といった場合、清和源氏を指すほどだ。

神社の中に神社。

朱色の鳥居が興味をひく。

正一位 田尻稲荷大明神。
旧多田荘の田尻より移築され、社殿は、一間社流造で全面に彩色が施してある。

県指定重要文化財の厳島神社。
市杵嶋姫命を祀っており、旧多田院では、「弁財天女」とも呼ばれ古くより厚い信仰を集めている。

磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと)という料理の神様も祀ってある。

県指定重要文化財の六所宮。

伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の六所の神々を祀っており、旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社。

サルスベリ(百日紅)が綺麗。


ムクロジ。

この無患子(ムクロジ)は、兵庫県の郷土記念物に指定されているほどの立派な木だ。


境内 案内図。


随神門が見えた。

手前右側には、宝物殿。

水戸黄門御手植銀杏。


さあ、随神門をくぐってお参りしよう。

左側には豊岩間戸尊

右側には櫛岩間戸尊の、二体の随神像が安置されている。

国指定重要文化財の拝殿。
見かけは意外と質素だった。

その前に、手水舎。

第六十四代横綱曙と第六十五代横綱貴乃花との奉納手数入記念植樹。


徳川四代将軍家綱公により再興された桁行7間、梁間3間の大規模な入母屋造、檜皮葺屋根の建物。

御祭神は、第五十六代清和天皇の曾孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公。
武運長久の勅願社として、又家運隆昌、勝運厄除の守護神として崇敬されている神社である。

神馬舎。
中には、神馬が納められている。

国指定重要文化財の御本殿は、徳川四代将軍家綱公により寛文七年(1667)創建。
素木の入母屋造、檜皮葺屋根の建造物としてすぐれた遺構となっている。

遥拝所。

東の方に行ってみた。

県指定重要文化財の東門。

境内の外に出てみた。
南側を流れる猪名川。

ごつごつした岩肌がのぞく。

川を渡ったとこの鳥居と

御社橋。

南大門。

多田院のもとの仁王門であり両脇に仁王像があったが、明治4年神仏分離の折、仁王像は満願寺山門に移転され、安置された。

喉が渇いた。

三ツ矢サイダーばっかり。

三ツ矢サイダーゼリーを飲んだ。

しっかり食感なら5回、ぷるぷる食感なら10回振る。
でも、炭酸飲料を振ってもええんかいな。
その後、何も起こらず美味しく飲めた。

当地限定三ツ矢ピーチ。
なぜこの自動販売機が三ツ矢サイダーばっかりかというと、実はここ川西市が三ツ矢サイダー発祥の地だったからだ。

兵庫県多田村(タダムラ)平野から湧き出た炭酸水をびんに詰め「平野水(ヒラノスイ)」として製造したのが始まり。

さかのぼること平安時代
九頭竜伝説
摂津の国司となった源満仲公は、居城の地をどこにするか思い悩んでいた。
ある日、夢枕に立った住吉大明神から白羽の鏑矢を与えられ、矢の落ちたところに居を構えるよう信託を受ける。
満仲公がお告げに従って虚空に矢を放つと、矢は火を吹いて飛び去り、多田荘の沼に棲む「九頭の龍」に命中した。
満仲公は、これを奇縁として、多田沼を切り拓いて新田となし、自らもこの地に城を築いて住んだといわれる。
鷹狩り伝説
ある日 満仲公が鷹狩りに出た際に獲物を射止めようと放った矢は飛び立った鷹の羽をかすめて岩にあたり、岩の一角から清らかな泉が流れだした。
傷を負った鷹は満仲公の眼前に舞い降りて、 傷口を泉に浸けると、たちまち回復し、勇ましい羽ばたきとともに空高く飛び去っていった。
この霊泉こそ、三ツ矢サイダーの源泉「平野水」といわれる。
兵庫県に41ある市町の中で、最後に訪れた川西市。
まさかここで、源氏と三ツ矢サイダーの発祥話しを書くとは思わなかった。
恐るべし兵庫県!
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