紫電改とパン
- 2020/08/15
- 23:24
兵庫県加西市の鶉野町。

ここには、さまざまな戦争遺跡が残されています。

そのうちのひとつ、防空壕。

防空壕入口。
戦時中、姫路海軍航空隊の地下指揮所・需品庫となっていたところです。
防空壕内は、意外と広くコンクリート造りで2部屋あり、東部屋が縦3.7メートル、横4.7メートル、西部屋は縦3.7メートル、横3.1メートルもあります。
両部屋とも天井はドーム状で、高さは最大約3メートル。
壁は厚さ約1.5メートルの部分もあり、頑丈に造られています。
この日はあいにくみれなかったが、以前みたときには戦闘機の模型や現物のタイヤ、写真、特攻隊員の手紙などを展示してあり、戦争関連映像もみれました。

鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)。
第二次世界大戦中、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されましたが、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留する訓練基地および特別攻撃隊の出撃拠点ともなったそうです。
滑走路 全長1,200m、幅60m 1本。

滑走路横にある姫路海軍航空隊鶉野飛行場慰霊碑。
平和祈念の碑苑。

97式艦上攻撃機。
姫路海軍航空隊に練習機として配備され、多くの若者がこの機で練習を行いました。
昭和20年3月、神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、昭和20年4月6日から5月4日まで5度の出撃により全機が失われ、63人という大勢の尊い命が失われました。

ようこそ!鶉野飛行場へ。
慰霊碑を観たあとでこれをみたら微妙な気持ちに陥ります。
気を取り直して…

結構な人出。

鶉野飛行場跡にできた備蓄倉庫で、大戦中に鶉野町の組立工場で製造されていた紫電改の原寸大模型を公開していました。

公開時間は、毎月第1、第3日曜日 午前10時00分から午後3時00分まで(申し込み不要)のみ。

私は、8月16日はどうしても避けたかったので、8月2日に訪問しました。

読売テレビも大阪から取材に来ていました。

大きなプロペラ。
このプロペラだけで空を飛んでいたんやな。

川西航空機姫路製作所鶉野工場で組み立てられていた「紫電改」の実物大模型。

鈍重で空戦性能は零戦より劣る「乗りにくい」戦闘機ともいわれてたそうですが、機銃の命中率・高空性能・降下速度は、零戦より遥かに高く優れていました。

飛び立った紫電改は、この車輪で二度と滑走路に帰ってくることはありませんでした。

342-23。
源田実大佐が率いた343空に所属する紫電改のうちの23号機という意味。

後ろから見るとこんな感じです。

大日本帝国の威信をかけて飛び立ちました。

戦争を経験された語り部登場です。
10時前から30分ほど、講話「姫路海軍航空隊と紫電改」をされました。

10時20分から「紫電改」エンジン始動実演。
当時のエンジンには現在でいうセルモーターが付いてなかったため、「エナーシャを回せ!」という掛け声のもと人の手で始動していたそうです。

10時30分からは、写真撮影が映えるよう屋外に移動されました。
ああ、興味深かった。

帰りがけに、社会福祉法人ゆたか会が運営する米粉パンのお店・駅舎工房モン・ファボリで購入したパン。
スポンサーリンク
ここに広告のコードを入れる