関ヶ原を巡る
- 2020/07/15
- 08:56

関ヶ原ウォーランドを出たあと、実際の古戦場跡を巡ってみました。
まずは、笹尾山。

西軍石田三成が、陣を敷いた場所です。

ひこにゃんの頭のような形をしたモニュメント。

関ヶ原合戦のあらましが書いてありました。

山の麓には、丸太の矢来が組んであるところがあり、ここが島左近の陣地だったようです。

島左近は石田三成の家臣でしたが、「治部少(三成)に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」と揶揄られるほどの逸材でした。

関ヶ原ウォーランドの島左近。

山の上には、石田三成の本陣があります。

歩いて5分、雨降りを加味しても10分もあれは登れるな。

山頂に到着。

晴れてたら、向こうの山々まで見渡すことができるな。
でも、合戦当日も濃霧やったらしいのでこんな景色やったかも…

右側の山が、あの小早川秀秋が陣取った松尾山。

きっと、賢い石田三成が、ここで冷静に指揮をとったのでしょう。

他にも行ってみよう。

「島津の敵中突破」で有名な島津義弘の陣跡です

神社のすぐ裏手になります。

島津義弘は敗れた西軍であったが、「島津の退き口」と呼ばれる退却戦によってのちのちまで繁栄することになります。


関ヶ原ウォーランドの島津義弘。

関ヶ原合戦400年記念平和の杜。

これは、オブジェか?

関ヶ原ウォーランドの小西行長。
宇喜多秀家陣跡、大谷吉継墓、小西行長陣跡、開戦地。

さあ、次はどこに行こう。

宇喜多の旗。

関ヶ原ウォーランドの宇喜多秀家。

関ケ原の戦いは、東軍の福島正則隊が、西軍・宇喜多秀家隊に鉄砲を撃ち掛けたことで始まりました。

関ケ原の戦い 開戦地。

関ケ原古戦場 史跡位置図。

ああ、喉が渇いた。
水でも飲んだろ。

あっ、お茶にしとけばよかった。
※ 近江国のある寺院に、鷹狩りの帰りにのどの渇きを覚えた秀吉が立ち寄り、寺小姓に茶を所望した際、寺小姓は最初に大きめの茶碗にぬるめの茶を、次に一杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、最後に小振りの茶碗に熱い茶を出した。
まずぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後の熱い茶を充分味わわせようとする寺小姓の細やかな心遣いに感服した秀吉は彼を家臣とした。
それが後の石田三成であったという。
これが俗に「三杯の茶(三献茶)」と呼ばれる逸話である。
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