兵庫県人やのに、これまで中国縦貫道で通過するのは除いて一度も宝塚市に行ったことがありませんでした。

この度、初めて、憧れの宝塚の地を踏みました。

阪急宝塚駅から宝塚歌劇に続く花のみち。

手塚治虫 リボンの騎士。
手塚治虫先生は、幼少期から約20年間をこの宝塚で過ごしました。

宝塚大劇場が見えてきました。


ここら辺一帯は、阪急阪神東宝グループの創始者・小林一三が手がけた宝塚大劇場、宝塚大温泉、動植物園と遊園地がある一大娯楽地でありました。その後、宝塚ファミリーランド、宝塚ガーデンフィールズを経て、今では商業施設やタワーマンション・小学校等に生まれ変わっています。

その名残からか、今でも、大劇場周辺地域を「ムラ」と呼ぶそうです。

一世を風靡したベルサイユのばら。

花のみち沿いには、タカラヅカのブロンズ像が立っています。
大劇場と川の間に宝塚音楽学校があるとのことで

向こう側、いや違った武庫川側にまわってみました。

宝塚音楽学校。
新型コロナ感染拡大のため窓を開けているのか、ピアノの音が聞こえてきました。

交差点の反対側にある宝塚市立手塚治虫記念館。

ジャングル大帝レオの像。
レオは、西武ライオンズのマスコットにもなってんけど、前あった宝塚ファミリーランドには、白い虎、ホワイトタイガーがおってんで。

芝生を挟んで向かいには、宝塚市立文化芸術センター。

宝塚市立文化芸術センターの庭園を散策してみました。

都会のオアシス。

あじさいがきれい。

向こうの高層ビルとアンマッチしてておもしろい。

手塚治虫先生の妹・手塚美奈子さんが落書きしたものから誕生したヒョウタンツギ。

もとは茸らしいが、手塚マニアにとっては最大のスターかもしれません。

ユリの花。

喉が渇いた。

自動販売機。

嘉永5年
ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏、英国にて誕生。
明治5年
ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏、日本に渡航。
明治22年頃
ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏、兵庫県宝塚で炭酸鉱泉を発見。
明治23年頃
資材、設備一切を英国より取り寄せ、鉱泉の瓶詰を生産開始。
「仁王印ウォーター」として発売。(個人事業として開始)

明治37年
ザ クリフォード ウヰルキンソン タンサン ミネラル ウォーター有限会社
(本社は香港。日本支店は神戸市)を設立。
工場を現在の兵庫県西宮市塩瀬町生瀬に移転し、「宝塚工場」として操業開始。
「ウヰルキンソン タンサン」と名付け、国内・国外(27カ所)に販路を広げる。
「胃腸を仁王の如く強くする」というコンセプトから、仁王像マークが使用されたと言われています。