Jリーグランチパック三食め。

最初にデイリーヤマザキで売り切れていた四個だ。

FC東京。

クラブカラーの青と赤をイメージし、一方のパンにダブルベリージャム、もう一方のパンに苺ジャムをサンドしてある。
これだけパンが四つに袋綴じしてあった。

昨年の優勝チーム・横浜F・マリノス。

牛鍋発祥の地とされる横浜にちなみ、 醤油ベースのすき焼き風フィリングとスクランブルエッグをサンドしてある。

北海道コンサドーレ札幌。

クラブカラーの赤と黒をイメージし、イチゴジャムとチョコクリームをそれぞれホイップとともにサンド。
そして最後は、天皇杯を制してスーパーカップでも横浜F・マリノスを壮絶なPK戦で下したヴィッセル神戸。

一方のパンには、勝利とクラブカラーのクリムゾンレッドをイメージしたハムカツ、もう一方のパンには関西で人気のたまごフィリングをサンドしてある。

ヴィッセル神戸は、日本の兵庫県神戸市をホームタウンとするプロサッカークラブ。

1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部(1987年に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身となり、1997年にJリーグへ加盟。
ホームスタジアムは、兵庫県神戸市のノエビアスタジアム神戸、練習場も神戸市のいぶきの森球技場である。
チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語、「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージし、神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームである事の誓いもこめている。
マスコットは神戸・兵庫に馴染みの深い、牛をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」。
牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。
1993年12月、「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会(オーレKOBE)」が地元市民の有志により発足。
同時期に岡山県倉敷市を本拠地とする川崎製鉄サッカー部の誘致活動を行い、川崎製鉄本社の意向もあり1994年3月に1995年からの神戸市へ移転が決まった。
1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた総合スーパーのダイエーがメインスポンサーとなり株式会社神戸オレンジサッカークラブを設立。
1994年9月、クラブ名称が「ヴィッセル神戸」に決定した。
1995年1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートしたが、練習初日であった1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、選手らは岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行う(2月6日)。
運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。
また6月に後にクラブの象徴的存在となり、「ミスター神戸」と称されたFW永島昭浩が加入した。
1996年、元デンマーク代表のミカエル・ラウドルップが加入。
ジャパンフットボールリーグ(JFL)で準優勝し、1997年シーズンから念願のJリーグへ加盟した。
Jリーグ加入を果たしたものの、ダイエー撤退後はメインとなるスポンサーが現れずに苦しい経営が続き、2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。
2004年1月14日、兵庫県出身で楽天の代表取締役である三木谷浩史氏が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ(2004年1月5日設立)が2月1日付でチームの営業権を譲り受ける。
その後も低迷が続いたが、2018年5月にFCバルセロナから、スペイン代表MFアンドレス・イニエスタの完全移籍が発表されて入団を果たすと状況が一変。
その後は、皆さんのご存じのとおりである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』参考
ヴィッセル神戸の蘊蓄を語りたかっただけやんけ!