釜城うどん
- 2019/05/24
- 04:22
別所 長治公。

三木市では、自分の命と引き換えに三木のまちを救った方だと今でも崇拝する人は多い。
別所家は、早くから織田信長に臣従していた。
ところが天正5年(1577年)の加古川評定で生じた不和をきっかけに羽柴秀吉との関係が悪化。
別所長治の妻の実家・波多野秀治が織田信長に反旗を翻していたこともあり、別所長治も天正6年(1578年)、織田信長を裏切って三木城に一族・国人衆とともに7500人で籠城してしまう。

三木城は簡単に攻め落とせるような城ではないと悟った羽柴秀吉は、兵糧攻めを展開する。
「播州御征伐之事」によると、城内の食糧が底を尽くと、餓死者が数千人に及んだという。
はじめ兵卒は糠(ぬか)や飼葉(馬の餌)を食していたが、それが尽きると牛、馬、鶏、犬を食べるようになった。

草はもちろん、壁土の中の藁も食べたという。

糠や飼葉、肉で飢えを凌げなくなると、ついには人を刺し殺し、その肉を食らったと伝えている。
その空腹感は、想像を絶するものがあっただろう。
天正8年(1580年)1月、別所長治は自分の切腹と引き換えに城兵を助命するようと伝え、羽柴秀吉もこの条件を了承して決着はついた。

三木城は、別名釜山城または釜城ともいう。

周辺には多くの鳥居と無数の石が積んであり、おそらくお墓であろうと思われる。

これが有名な「三木の干殺し」といわれるものである。
下の商店街にお昼を食べに行った。

ようこそ!なめらかフェに

うどんを注文する。

さっきの話を知って食欲がわかない。


レトロヂ特別メニュー 釜城うどん 300円

草に見立てた「ねぎ」

土壁に見立てた「天かす」

藁に見立てた「刻み揚げ」

釜山に見立てた「かまぼこ」
そんなこと言われたら、ますます食べづらい。

うどん。
いつもは、これぐらいなら5分で食べれるのに、このうどんは具材を一箸ずつゆっくりとかみしめていただいた。
食べれることの幸せを感じながらいただいた。

ナメラ商店街の「なめらかフェ」。
毎週土曜日(10時から15時)のみ営業。
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