妖怪ベンチ
- 2018/12/05
- 02:47
兵庫県の福崎町に、妖怪ウォッチならぬ妖怪ベンチがある。

辻川界隈の鈴の森神社駐車場。

妖怪ベンチができたきっかけは、この河童。
この日はあいにくどこかを骨折中で、みんなで手当てをしてて見れなかったが普段は15分おきに元気な姿を見せる。

河童のガタロウとガジロウのほかに横には天狗小屋もお目見えした。

今回は、その河童と天狗はおいといて、妖怪ベンチに座りに行く。
まずは、辻川山公園の「油すまし」

カフェ・レ・ボ・プロバンスの「一つ目小僧」

ご存知、一つ目小僧。

鬼太郎のおとうさん?
足元のカエルが妙に気になる。

次は、パン屋さんマリーポアラーヌの「一反もめん」

一反もめんだけに、お豆腐屋さんにしてほしかった。

次に向かったのが、ひのストア。

意外と一軒一軒が離れておりわかりにくい。

おった!

ひのストアの「鬼」
スマホで自撮り~♪なんて新しい。
まだ、外国人観光客は押し寄せてないみたいや。

五軒目は、お肉屋さん。

グルメミ―トにしおかの「猫また」

しっぽが2本の招き猫?
9か所あんねんけど、あとはもう一軒お肉屋さんと駅と寿司屋と風呂屋さん。
地図を見たら、歩くにはちょっと遠い
もう1か所で諦めることにした。

ミートショップ松井の「海ぼうず」

これも魚屋にして欲しかった。

海の漢。
一軒一軒お店に伺ってお話を聞きたかったが、限られた時間では廻りきれんかった。
カエルが泣くから帰ろう。
ここ福崎町は、民俗学の父、柳田國男先生の生誕地。
この柳田國男がいなければ、この世に『日本昔話』も『ゲゲゲの鬼太郎』も、『ポケモン』や『妖怪ウオッチ』も生まれていなかったかもしれないといわれるほどだ。
以下、福崎町観光協会HPより
柳田以前、全国各地に残された民話や伝承は体系づけられておらず、極論すれば “噂話や世間話” の域を出ることはありませんでした。柳田國男が全国を周り、八百万の神(やおよろず=万物に宿る神々)のみならず、妖怪や物の怪にまつわる言い伝えまで “文学” に昇華させたことによって、現代を生きる私たちにも “見えざるもの” の存在を知ることができているのです(ちなみに芥川龍之介の小説『河童』も、柳田國男の影響で生まれたと本人が語っているそうです)。
有名な『遠野物語』をはじめ『妖怪談義』『日本の昔話』『一目小僧その他』など、数多くの著作を残した柳田國男ですが、彼が初めて “人ならざるもの” と “出会った” 場所こそ、ふるさとである福崎の地でした。
柳田國男の回想録『故郷七十年』に、以下の記載があります。
辻川あたりでは河童はガタロというが、ずいぶんいたずらをするものであった。子どものころに、市川で泳いでいるとお尻をぬかれるという話がよくあった。それが河童の特徴なわけで、私らの子ども仲間でもその犠牲になったものが多かった。毎夏一人ぐらいは、尻を抜かれて水死した話を耳にしたものである。市川の川っぷちに駒ヶ岩というのがある。今は小さくなって頭だけしか見えていないが、昔はずいぶん大きかった。・・・鰻のたくさんとれる所で、枝釣りをよくしたものであった。
(『故郷七十年』より引用)
清流市川で水遊びし、鈴ノ森の丘を駆け回り、山の向こうの“遠い世界”に思いを馳せて育った柳田少年は、自然の中に存在する美しさと同時に、厳しさや畏れも学んだことでしょう。
「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という『遠野物語』の有名な一節があります。近代化への歩を進める人間社会に、自然界への畏敬の念を忘れてはならないと、警鐘を鳴らしていたのかもしれません。
私たち福崎町は、柳田國男が生涯を懸けて伝えた“万物の語りかけ”に、耳を傾けられる地であり続けたいと思っています。
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