柳田國男の生家 おかき
- 2018/06/21
- 23:59
「をさな名を 人に呼ばるる ふるさとは 昔にかへる ここちこそすれ」

「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田國男(文化勲章受章,福崎町名誉町民第1号)

柳田國男の生家

碑の横には、柳田國男が「日本一小さい家」と表現し,民俗学への志の源となったといわれる生家が,移築・保存されている。

景観形成重要建造物。

「ごめん、じゃますんでえ。」
「じゃますんねんやったら帰ってんかあ。」と言われることもなく中に入れてもらう。

間取りは四畳半二間と三畳二間が田の字型にあるだけ。

家の中に入った途端

一気に裏口だ。

大家族が使ったと思われる「かまど」

柳田國男は1875年に医師であり国学者である松岡操の六男としてこの家で生まれ、当時ここには國男等の両親と長兄鼎(かなえ)夫婦、國男、弟の静雄と輝夫(映丘)の7人が住んでいた。
家の狭さゆえ鼎の若い妻は離別して実家に帰ってしまったという。
家族は國男の母の実家がある加西市北条町へ移り、次に千葉県布佐へ移住することになる。

この家は昭和47年に顕彰会が譲り受け当時の姿に復元したものである。

素朴な家。

素朴と云えばこのおかき。

福崎特産もちむぎ入りおかき 手焼

「今宵は、ここらでよかろうかい」
「いやいや、もっとお書き!」
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