夏梅太郎右衛門 義人の碑
- 2018/05/14
- 21:17

兵庫県播州地方北部の多可郡多可町加美区。
熊野部地区。

稲荷神社。

お稲荷さんを拝んで、階段を下りてくると、朱色の趣のある橋が見える。

橋を渡ると

「夏梅太郎右衛門 義人の碑」とある。

夏梅太郎右衛門って何をした人なんやろ。
戻ってみた。

夏梅太郎右衛門 終焉の地。

顕彰碑
徳川幕府も後半に入ると乱れ始め、悪い役人が横行し、民に過酷な税を課して私腹を肥やす者が増えた。
当時、熊野部は生野代官の所領に属し、悪政に耐えきれず山林田畑を捨てて他村へ流浪する者が多く、田畑は荒れ、村は衰えるばかり。
このとき、庄屋 夏梅太郎右衛門は、一身一家を捨ててこれを救うため、当時禁止されていた直訴を行った。
訴えは取り上げられ減税が行われたが、太郎右衛門はこの地において火あぶりの刑に処された。
時に明和元年(1764年)6月25日。
明治44年(1911年)7月、村の有志により義挙を永く讃えるため碑が建立された。
その後、熊野部地区は平成15年(3003年)3月、顕彰碑と公園を整備した。


熊野部の人、こんなん食べられへんかってんやろな。

豆千両。

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