けいすけじゃ
- 2018/02/22
- 02:22

けいすけじゃ
けいすけってどこの「けいすけ」じゃ?
上郡町観光案内所で聞いてみた。

上郡町が生んだ偉人 大鳥圭介。
「おおとりけいすけ」いうても京唄子の相棒の鳳啓助やない、大鳥圭介。

いきいき交流ふるさと館。
ちょっと車を走らせたところに大鳥圭介の生家があるというので行ってみた。

兵庫県の最西端、赤穂郡上郡町岩木丙石戸地区。

大鳥圭介は天保3年(1832年)という天保の大飢饉の時代に、播磨国赤穂郡細念村小字石戸で町医者・大鳥直輔と節の間に長男として生まれる。

大鳥圭介生誕の地

ふれあい喫茶が、第1、第3日曜日の9時から12時まで開店している。
12時を少し過ぎていたが思い切って入ってみた。

圭介塾が行われていたが、気持ちよく迎え入れてくれた。

館内には大鳥圭介に関する資料がいっぱい展示されている。
大鳥圭介は5歳の頃から祖父の純平より漢学を教わり始め、漢学に興味を持ち始める。
13歳の時、純平も学んだ岡山池田藩にある閑谷学校で5年間漢学を学び、20歳の時に大坂の適塾で緒方洪庵に西洋学を学び始めた。
次に江戸の大木塾、江川塾で学びかつ教え、ついには幕臣旗本とまでなった人物である。

若者の勉強の邪魔になるので裏に出る。

圭介の井戸
大鳥圭介が生まれた時に産湯に使った井戸だ。


大鳥圭介は、語学が堪能で才能があふれており、蘭学者、洋学者、幕臣、技術官僚、外交官、そして男爵とひとことでは言い表せない。
大鳥圭介という名前だけは知っていたが、兵庫県の人だったとは知らんかった。
お茶でも飲みながら圭介資料をどうぞ


座敷にあげてもらった。
ドクターズバッグが見える。

圭介が使った硯や矢立ての生活用品。

大鳥圭介をめぐる関係図

けいすけらいぶらりー


円心茶をどうぞ。

円心茶のおもてなしをいただいた。


5月4日の「けいすけまつり」も来てや!
※漫才師・唄子啓助の鳳 啓助(おおとりけいすけ) 大鳥圭介の生き方に心酔して芸名にしたとか。
ぽてちん!
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