忠臣蔵
- 2017/12/20
- 00:30

赤穂大石神社

大石内蔵助良雄宅跡

屋敷跡には、赤穂四十七士を祀った「大石神社」がある。
この神社の祭神は、日本古来の八百万の神ではない。
忠義を貫いた義士たち。
参道には、四十七士の石像が立ち並ぶ。

大正元年(1912年)、大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に建設された。

松の廊下の刃傷

長矩 田村邸で切腹

早打ち赤穂へ飛ぶ

藩士総登城大評定

無念の城 あけ渡し

祇園一力茶屋

高田馬場の決斗

神崎与五郎詫状文

恋の絵図面取り

南部坂雪の別れ

源蔵徳利の別れ

両国橋の源五と其角

吉良邸討入り

浪士 奮戦す

炭小屋にいた上野介

永代橋から引揚げ

冷光院殿に奉告

内蔵助ら切腹す

勅使差遣と神社創建
明治天皇は明治元年東京行幸に際し泉岳寺墓前に勅使を差遣され良雄らを弔し義士として深く嘉賞する旨の勅宣並に金幣を賜った。
そのことを契機に神社創建の議が起り全国崇敬者の奉賛によって明治三十三年創立認可大石内蔵助良雄以下四十七人を祀る大石神社が赤穂城内三の丸に御鎮座になった。

赤穂の天塩使用

赤穂塩ラスク
おりしもひとりの浪士が雪をけたてて、サク サク サクサクサクサク
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