金子みすゞ記念館 わたしと小鳥と鈴と編
- 2017/07/21
- 05:55
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞ(本名テル)
「赤い鳥」、「金の船」、「童話」などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。
そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのがこの童謡詩人・金子みすゞだ。
1903年(明治36年)4月11日、山口県大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれ、成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人だったそうだ。

生家を復元した金子みすゞ記念館。


3歳で父を失ってからここで店番もしていたはず。



みすゞの部屋にあがる。


みすゞの部屋。

隣は、上山 雅輔(かみやま がすけ)、本名:上山 正祐(うえやま まさすけ)のコーナー

上山 雅輔は、劇団若草の創設者で金子みすゞの実弟。
みすゞ3歳、雅輔1歳のときに父が不慮の死を遂げ家計が逼迫したため、雅輔は叔母(母の妹)の家・上山文英堂(下関の書店)に養子に出される。
ところが、叔母の死後、雅輔の養父・上山松蔵とみすゞの母が再婚したため、みすゞと雅輔は実の姉弟でありつつ、義理の姉弟の関係となるという数奇な運命を辿る。


もう一度1階に下りる。


炊事場

お風呂場

金子家の井戸
20歳までこの井戸で水を汲んで炊事場やお風呂場に運んでいたのだろう。

お腹が空いた。
うちの長男と妻と三人で仲良く漁協近くの食堂にお昼ご飯をいただきに行った。

妻は、穴子定食。

長男は、刺身定食。

それからわたしは、いわし定食。
うーん、みんなちがってみんないい
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