みかんを美味しく食べるこつ
- 2017/01/01
- 23:46
初日の出

あけましておめでとうございます。

まるで、みかんのようだ。
最近、人気急上昇の播磨冨士こと高御位山。

天の邪鬼のいなかさんは、あえてこの山をはずして4つほど隣の山を登った。

名もなき神社にお参りする。

隣には、八紘一宇碑が
「八紘一宇」とは、第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられたことばで、これをいいといえば語弊がある。
しかし、世界をひとつの家にするととらえればいい言葉だ。
登山口

落ち葉がいっぱいあるけど広くて登りやすそうな道や。

つづら曲り

このあたりから道が細くなり急になる。

高圧線の鉄塔が見えた。


大きな岩肌が見えてくる。

視界が開けてきて、着いた!
うん?ちょっと違うような。

もうひとつ向こうの山だった。


目指しているのは向こうの山の中腹(写真では左端)にある太閤岩だ。


太閤岩とは、加古川市西神吉町辻の北側の岩山にある岩。
太閤さん(豊臣秀吉)が志方城を攻めたとき、この岩に腰をおろして軍の采をふるったと言い伝えられている。
着いた!
この太閤岩からの眺望は素晴らしく、志方町を初め、高砂の海、加古川のまち、明石海峡大橋や淡路島まで一望できる。
まるで天下をとったようだ。

そう思って見れば、岩の色も金色に見える。
座ったろ。
「天下、とったぞ!」


ここまできたら、もうちょっと足を延ばして行ってみてほしいところがある。

ここからは、険しく岩肌が続く。

あった!

米相場中継所跡

今は草木が茂って廻りがよく見えないが、昔はこの場所も見晴らしが良かったのであろう。
ところどころ風化して読めない看板によると、『ここは昔米相場中継所 していた所である。明石の方を見ては に出て 大きな旗を振り姫路の方を見ては旗を振り一日のうち幾度となく繰り返していたものだ。明石と姫路の中間にあって米相場の中継をしていたのである。天気の良い日には村なかでも旗を振っているのがよく見えたものである。それは明治時代の頃の話である。電信と電話の発達が旗振りを不要にしたのである。志方町誌より』
山を登ったときのお楽しみ

みかん


うまぁ~!
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
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