史跡 生野銀山 後編
- 2015/08/25
- 00:11


人形で採掘風景を再現している。

ノミ一本で命をかけて鉱脈を探し出す堀大工。

滝間歩坑道

女の人も
江戸時代の採掘風景が見れる。

砕女

楽しみは食事時
いつの時代でもおんなじや。

負子

振矩師


木作りをする手子


出方相改取締

見廻り役人
生野銀山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられている。
天文11年(1542年)には山名祐豊のもと銀鉱脈の本格的な採掘が始まる。
江戸時代に幕府が「銀山奉行」を設置、「生野代官」が置かれ、やがて生野銀山は最盛期を迎え、明治に入り、政府直轄鉱山となった生野銀山にフランス人技師ジャン・フランソワ・コァニェ氏が着任し目覚ましい近代化を遂げる。
掘り進んだ坑道の総延長距離350km以上、掘った深さ880m、採掘した鉱石の種類は70種以上といわれている。
坑道の中の寒さもさることながら、人間の力の偉大さにもゾッとする。
お役人様、これを

「埋蔵金チョコで御座います。」
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